仏画コラム
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48,両部曼荼羅の宝生草と牡丹草の考察

宝生草(高雄図像)

仏画

金剛界~宝生草(吉祥草・吉祥茅)、胎蔵~(牡丹草・雑華)
高雄図像においては、金剛界の曼荼羅の一番外側に描く、食道の図像として宝生草と胎蔵界
道間細草模様については、図像として描かれていますが、胎蔵の外側の花柄の図像(牡丹
草・雑華)は示されていません。この事は、長い間疑問におもっておりました。金剛界の一
番外側の食道の地色は、緋色を塗り、宝生草(吉祥草・吉祥茅)を描いて結界としていま
す。胎蔵の(牡丹草・雑華)は、多くが牡丹草だけではなく、種々の意匠化した花や牡丹を
錯雑して結びつなぎ食道を荘厳していますが、一定ではなくはっきりしていません。曼荼羅
には蓮・吉祥草・牡丹草(雑華)などが描かれますが、単なる厳飾や供養の為の植物ではな
くそこには聖なる空間を構築する思いが込められているようです。また恵果阿闍梨の金胎不
二の思想も取り入れられています。
宝生草は、イネ科の草で、吉祥草とも、吉祥茅とも呼ばれており、高雄図像では、種子の毛
や綿糸状の草の穂を描いています。色は白色で、種子の毛や綿糸状の草の穂で非常に柔らか
いものです。釈迦がこの樹の下で悟りを開いた樹が、吉祥樹、(菩提樹)のことであり、さ
らに釈迦がその菩提樹下で敷いていた敷物が、茅、あるいは薄に似た草のことを吉祥草とい
う。釈迦が菩提樹下において悟りに入ろうとして魔郡に悩まされた時、大勇猛心をふるって
魔を降し真実の智慧(正覚)を悟る事が出来た因縁に基ずく事蹟を吉祥草をもつて、結界の
デザインとし図像化したものと思われます。この草は、元来印度ではヴエーダの蔡式の時に
祭場に敷きつめる草とされるから、印度人流にいうと、目出度い、吉祥な草であります。ま
たその草の穂を描いているわけで、これは穂が、風に吹かれて各地の大地に根ずき大悲胎蔵
の教えが世の中に拡散して各地に根ずき広まる願いが込められているように思います。
また胎蔵の最外院の外側の食道には(牡丹草・雑華)が描かれているのは定説のようであり
ます。口伝などによりますと、「仏母の三昧耶形でもある獅子が、牡丹の花を好んで食べる
からとか、牡丹は花の王であるから、あるいは牡丹草は獅子が食べるので邪が近ずかないと
もいわれてきました。」しかしどうやらこれは、日本独自の解釈のようです。神護寺の高雄
曼荼羅や、東寺の第二転写本、(甲本)、あるいは高野山の血曼荼羅は、同じ図様であり、
四隅は、華鬘で、総角結びで卍に結ぶとされている。
大日経疏に説かれる供養の具としての花は、日本や中国で目にすることができない花が多
く、この中には青い花や赤い花は一つもなく、紅色や柿色の花もありますが、ほとんどが白
く芳香を放つ花で、解毒剤や除虫剤ともなっている。胎蔵の食道は、緋色を塗り、赤による
結界であると共に、白い花々による香りと防虫の結界ともいえる。又四隅は華鬘で荘厳され
ています。長い間疑問に思ってきた(牡丹草・雑華)のことですが、大日経琉には、梵名、
龍華花・計薩囉・茉莉花・タガラ・チャンパカ・アショーカ・テイラカ・パタラ・サーラな
どの花であります。これらの花の多くは、中国、日本では見ることができないために梵文を
漢訳に翻訳の折、図像伝承の折、印度にしか咲かない花であるがため、図像が正しく示せ
ず、高雄図像に掲載されず、伝承されなかったのではないかと思われます。

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