金剛界~宝生草(吉祥草・吉祥茅)、胎蔵~(中国名、木芙蓉、日本名、芙蓉)
高雄図像においては、金剛界の曼荼羅の一番外側に描く、食道の図像として宝生草と胎蔵界
道間細草模様については、図像として描かれていますが、胎蔵の外側の花柄の図像(牡丹
草・雑華)は示されていません。この事は、長い間疑問におもっておりました。金剛界の一
番外側の食道の地色は、緋色を塗り、宝生草(吉祥草・吉祥茅)を描いて結界としています
胎蔵の(牡丹草・雑華)は、多くが牡丹草だけではなく、種々の意匠化した花や牡丹を錯雑
して結びつなぎ食道を荘厳していますが、一定ではなく図像としてはっきりしていません。
曼荼羅には蓮・吉祥草・牡丹草(雑華)などが描かれますが、単なる厳飾や供養の為の植物
ではなくそこには聖なる空間を構築する思いが込められているようです。また恵果阿闍梨の
金胎不二の思想も取り入れられています。宝生草は、イネ科の草で、吉祥草とも、吉祥茅と
も呼ばれており、高雄図像では、種子の毛や綿糸状の草の穂を描いています。色は白色で、
種子の毛や綿糸状の草の穂で非常に柔らかいものです。釈迦がこの樹の下で悟りを開いた樹
が、吉祥樹、(菩提樹)のことであり、さらに釈迦がその菩提樹下で敷いていた敷物が、茅
あるいは薄に似た草のことを吉祥草という。釈迦が菩提樹下において悟りに入ろうとして魔
郡に悩まされた時、大勇猛心をふるって魔を降し真実の智慧(正覚)を悟る事が出来た因縁
に基ずく事蹟を吉祥草をもつて、結界のデザインとし図像化したものと思われます。この草
は、元来印度ではヴエーダの蔡式の時に祭場に敷きつめる草とされるから、印度人流にいう
と、目出度い、吉祥な草であります。またその草の穂を描いているわけで、これは穂が、風
に吹かれて各地の大地に根ずき大悲胎蔵の教えが世の中に拡散して各地に根ずき広まる願い
が込められているように思います。また胎蔵の最外院の外側の食道には(牡丹草・雑華)が
描かれているのは定説のようであります。口伝などによりますと、「仏母の三昧耶形でもあ
る獅子が、牡丹の花を好んで食べるからとか、牡丹は花の王であるから、あるいは牡丹草は
獅子が食べるので邪が近ずかないともいわれてきました。」しかしどうやらこれは、日本独
自の解釈のようです。
神護寺の高雄曼荼羅や、東寺の第二転写本、(甲本)、あるいは高野山の血曼荼羅は、同じ
花柄の図様であり、日本名芙蓉の花です。また四隅は、華鬘で、総角結びで卍に結ぶとされ
ている。大日経疏に説かれる供養の具としての花は、日本や中国で目にすることができない
花が多く、この中には青い花や赤い花は一つもなく、紅色や柿色の花もありますが、ほとん
どが白く芳香を放つ花で、解毒剤や除虫剤ともなっている。胎蔵の食道は、緋色を塗り、赤
による結界であると共に、白い花々による香りと防虫の結界ともいえる。長い間疑問に思っ
てきた(牡丹草・雑華)のことですが、大日経琉には、梵名、龍華花・計薩囉・茉莉花・タ
ガラ・チャンパカ・アショーカ・テイラカ・パタラ・サーラなどの花であります。これらの
花の多くは、中国、日本では見ることができないために梵文を漢訳に翻訳の折、図像伝承の
折、印度にしか咲かない花であるがため、図像が正しく示せず、高雄図像に掲載されず、伝
承されなかったのではないかと思われます。その後色々と知らべ、どうやら日本名「芙蓉」
の花をデザインしたもののようです。中国名、「木芙蓉」です。これは恵果阿闍梨の考えの
ようで「変化しやすいの意」,芙蓉は、ハスの美称でもあることから、特に区別する際に
は、中国では「ハスは、水芙蓉、花は木芙蓉」と呼ばれる.曼荼羅では、木芙蓉(酔芙蓉)
を描いています。
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