仏画コラム
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20,十三仏図像と十王図本地仏

O-106 十三仏来迎図 3.0×4.5尺丈

仏画

O-107 十王図 3.0×4.5尺丈

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1986(S61)密教図像 第4号「十三仏図像と十王図本地仏」田村隆照先生 論文参考
十三仏は追善回向に関連して最も広く庶民の信仰の対象として知られたほとけであり、多く
の人達に関心を持たれているほとけである。十三仏の一尊を本尊として祀る寺々ではその御
誓願を周知させてそれに帰依する人達にご利益と安心を与えようとしている。それぞれの本
尊である仏像は古くからの信仰を持つていて作例も多いが、こと十三仏としての組合せとな
るといつ始められたかも明確ではなく、画像の配置順についての考察が一、二あるものの従
来本格的に研究されることはほとんどなかつた様に思われる。十三仏の組合せに関するもの
は勿論、その成立を示唆するような聖教や文献を見ることは全然ないといつて良い。おそら
く教学の本流に於て、取り上げられる事のなかつた命題であつた為と思われる。学侶・行人
の別に従えば行人の所管にいたためではないか、又始め浄土門において考えられた為ではな
いかと思われる。「経軌の本説を見ず」とある十三仏については手探り状態を脱していない
ものである。十三仏の考察に当たつて、十王信仰がある。閻羅王授記経 又は預修十王生
経・預修十王生七経と言う中国撰述の経を直接の所依として展開した。十王信仰そのものは
鎌倉時代以降に渡来した経典や図巻によるものである。その背景としての地獄の認識が奈良
時代にあつたことはよく知られてるところである。十王の信仰はやはり唐末、五代、或いは
宋初の預修十王生経の撰述や十王像の伝来を待たなければならない。多くの場会、一王を一
幅にあらわして冥界での裁断のさまを冥官や獄史と共に表す、忌日と各王の組合せは預修十
王経によるものである。
【十王と十仏】
1、一七日、秦広王~不動
2、二七日、初江王~釈迦
3、三七日、宋帝王~文殊 
4、四七日、五冠王~普賢
5、五七日、閻魔王~地蔵          
6、六七日、変成王~弥勒
7、七七日、太山王~薬師(満中陰)    
8、百ケ日、平等王~観音
9、一年、 都市王~勢至          
10、三年、五道転輪王~阿弥陀
【追加された三王と三仏】
11、七年、 蓮上王~阿閦
12、十三年、抜苦王~大日
13、三十三年、慈恩王~虚空蔵
最も七七日・中陰即ち中有の思想は俱舎論や瑜伽師地論などに説かれるところで、印度で人
の死後について論じた中で(再生のために縁を得ない期間)として捉えられたもので、その
後の忌日には中国の風習が大きいことを指摘されている。以前のものが十王に十仏を本地と
して表すのに対し十王で十三仏を表現する所が何より特徴的で、そこに加えられた三仏、阿
閦・大日・虚空蔵は密教のほとけであり、更に三仏に対応する三王が新しく加えられて、形
の上では十三仏と十三王と言う組合せになつてくる。七周忌が蓮上王、十三回忌が抜苦王、
三十三回忌が慈恩王である。 
ここで十王とほとけとの関係を今一度まとめてみると次の様になるかと思われる。
1、 宋・元で行われた十王図は勿論本地仏はない。
2、 十王図に夫夫本地仏を考えて十王十仏となる。
3、 十王はそのままでさらに三幅を加えて十三仏が表現される。
4、 三王を新たに作り、形の上で十三仏・十三王の組合せができる。
十五世紀初頭までにほぼ十三仏が固まつた事が言えそうで乗雲のものは来迎図形式を踏襲し
たもので、浄土教的表現と言うべきで、今後新たに密教寺院関係で図絵される十三仏図は当
然,乗雲や斜め構図を持つたものではなく、正面蓮華上円相(曼荼羅形式)の密教の十三仏
図であるべきであろう。 当社では様々な 十三仏図 が有ります。お問い合わせください。

制作仏画   大進美術株式会社


密教寺院用・正面蓮華上円相(曼荼羅形式)十三仏図

O-168本金箔押仕上げ

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O-96 十三仏図

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M-46

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M-152 十八尊仏図

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密教寺院用・中尊大日如来(来迎形式)十三仏図

O-67 3.2×5.7尺丈

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O-53 1.5×3.3尺丈 (愛染入)

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S-187 1.5×4.1尺丈

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O-73 1.5×4.0尺丈

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(来迎形式)十三仏図

O-136 1.3×3.0尺丈

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M-162 1.8×4.0尺丈

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L-6 1.3×3.0尺丈

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O-60 1.5×3.3尺丈

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