仏画コラム
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9,国宝・東寺本 十二天屏風(六曲一双)

S-70 1.5×4.5尺丈×12枚 東寺十二天屏風・六曲一双仕立

仏画
絹本着色(各扇)縦130.0X横42.1㎝ 鎌倉時代「建久2年/1191年」
「東宝記」巻二は十二天屏風の由来について面や装束などの十二天行道が煩わしい為、面や
装束に代わつて屏風を使用するようになったと述べられている。各扇に立像を一体ずつ描
き、その上に円相内の種字を配し脇侍は伴わない。身体は細身で各部の比例がよく、姿勢は
月天が横向きである事が特徴である。着衣は肥痩を強調した線で形ずくつており、宋画から
学んだ手法と思われる色彩はこの描線を生かすために余り濃厚ではなく裏彩色や裏箔などに
よつて柔らかく整えられている。東宝記によると新古二種の屏風のうちの新様にあたるもの
とみられこの新様屏風は建久二年(1191)に詫間勝賀が描き、種字を守覚法親王が記し
たと言う。十二天とは、東西南北、北東、西北、東南、南西、の八方に天と地、日(じつ)
月、(げつ)の方位を司る帝釈天、水天、閻魔天、毘沙門天、伊舎那天、火天、風天、羅殺
天、梵天、地天、日天、月天、の十二天である。それぞれ元は印度神話の戦いの神で、仏教
に取り込まれてのち、守護天となつたもの。当初は八方天のみであつたが後に梵天、地天が
更に日天、月天、が加えられ十二天として、成立したと言う。堂内に配され、修法の障りを
徐滅する役割を担つている。平安時代末期になると立像の十二天を描いた東寺本が登場す
る。この図像がその後の十二天画像の規範となり全て立像となつた。また六尊ずつの六曲
一双屏風仕立てとなつた点も大きな変化である。右隻には東の帝釈天から西北の風天まで、
左隻には北の毘沙門天から月天までが配される。特に方位を意識したものではないが二隻を
対面して配することに意義がある。と言うのも十二天屏風が伝法灌頂などにおいて東西に祀
られ使用されるものだからである。両部曼荼羅や八祖画像などと共に密教の師資相承の儀礼
において必要不可欠の画像である。 仏画復元制作・表装  大進美術株式会社  

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