仏画コラム
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4,理趣経能説の曼荼羅・理趣経総曼荼羅

理趣経総曼荼羅 3.3×3.3尺丈

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白描図

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理趣経総曼荼羅 3.0×5.0尺丈

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白描図

仏画

理趣経総曼荼羅 本金表装

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能説曼荼羅【理趣経総曼荼羅】解説書(1)  大進美術株式会社
通常理趣経曼荼羅の基と成って居るものは、不空三蔵撰述の理趣釈(大楽金剛不空真実三昧
耶経般若波羅蜜多理趣釈)でありこれは理趣広経・(七巻本)を基として、成立したるもの
で、理趣釈の所説は七巻本理趣経を改訂したるものに過ぎず、七巻本に無きもの迄、他よ
り補説している。 七巻本理趣経は(般若理趣分)の教義を実修する為の儀軌として次第に
発達し成立したるもので教主が釈迦牟尼仏であり、他の類本は大毘盧遮那である。
七巻本理趣経の基は玄奘三蔵訳の大般若経600巻の内・第578巻、(般若理趣分)であり、
七巻本理趣経の梵本は不空三蔵これを請來したるも途中で臨終(大暦9・774年)した。
その後225年をえて宋代(咸平2・999年)に完成された。 法賢が金剛頂経十八会中の第
六会の経を訳し七巻本二十五品とした(最上根本大楽金剛不空三昧大教王経)七巻、
これが七巻本理趣経と呼ばれるものである。
 理趣釈の説を根底として描いたものは、理趣経の能説曼荼羅だけである。
両部曼荼羅の金剛界九会の理趣会は(十八会曼荼羅・初段・金剛薩埵理趣会)と呼ばれ、中
尊は金剛薩埵で所説の曼荼羅とすべきものであり、この能説曼荼羅(十八会曼荼羅・序
分・大日尊理趣会)の中尊は胎蔵曼荼羅の法界定印の大日如来である。
本図は、真言密教の特殊な存在であり、大蔵経図像部(四)の覚禪鈔に白描図が、掲載され
ており、彩色本は、京都の醍醐寺に伝承されています。 単に理趣経ばかりの能説曼荼羅で
はなく、金剛頂経全体の能説曼荼羅と見ることができる。 理趣経序分に明かす他化自在天
王の宮殿を顕すに、三重の楼閣を似てし、その中央に序分に説く胎蔵の大日如来を描き、中
方の方位に依って序分に説く、「成就殊勝一切如来金剛加持三摩耶智」等の五智円満の境界
を顕し、  【(金剛手・観自在・虚空蔵・金剛拳)・(文殊・纔発心転法輪・虚空庫・摧一
切摩菩薩)】の八大菩薩を描く。 八大菩薩は三部の法門を顕すから、所説の曼荼羅に準じて、
この八大菩薩の内、初めの四菩薩を対方次第に描き、後の四菩薩を順旋次第に描くべきこと
を説いたものである。
能説曼荼羅として別立する意味は、顕教に対する密教の根本的異りを知ることができる。
大日如来だけが能説の教主となって説法するだけでなく、その眷属たる八大菩薩も各各自己
内証を説き給うことを明らかにして居るから、大日如来並びに八大菩薩は共に能説の主體
あり、九尊の集会は単なる説者聴者の集会にあらず、能説の人の集会である。
密教が顕教に対して自受法楽の法門と言われ、各説三密門と言われるのも、この説聴共に能
説の尊であるからである。 理趣経開題に、宗祖大師は、「今釋、此経、略有四意。謂、大
三法羯是。大者説聴二能人、云云」と述べられたのもこの意味である。
経軌に於ける能説曼荼羅の文献としては独り「理趣釈」だけである。

能説曼荼羅【理趣経総曼荼羅】解説書(2)  大進美術株式会社

御請來目録に「真言秘蔵経疏隠密。不假図画不能相傳」と述べ給ふように、この理趣釈に
隠密な點を更に図画に依って相伝せんが為に図画せられたものである。
大日経序分を、仏部身密に配し身無畫蔵即ち序分に出す仏菩薩処具の内証法門を顕さんと
せられたもので、大日経における能説曼荼羅の存在を指示せられた
大日如来・八大菩薩座位の事。
 ・此 八葉九尊者 一切衆生本有薩埵。本有自證曼荼羅也。
 ・直指胸中肉団。為 妙法八葉 芬陀利華。自宗本意。
此の本有の理を八葉をもつて表現し、八大菩薩の座位としたものであり、
能住は金剛界の菩薩所住は胎蔵蓮華として金胎不二を顕したものである。
不空訳理趣経の列次が最も正しい順序に次第して居る。 八大菩薩を二種に分かつと初めの
四菩薩は如来四智の果徳を顕し、後の四菩薩は如来の四行の因徳を顕すと見る事が出来、
胎蔵曼荼羅八葉の四仏四行の座位にならつたもので第二重の四隅に内の四供養菩薩、四方に
四摂菩薩、第三重の四隅に外の四供養菩薩を三昧耶形で顕し、四方に於いて東方に摩醯首羅
天、南方に摩訶迦羅天、西方に梵天、北方に都牟盧天の四天の種子を描き加える。
この種子は、理趣経第十二段己下四段の重説理趣の種子である。十三段己下の三段は重説理
趣 だけとみるべきものであるから、その段々の種子を取つたと言うのが適当である。
これら四天も八大菩薩と同じく能説の主として、十二段己下四段の法門を説くから、能説曼
荼羅の集会に加えたものである。
理趣釈には説主を立てて居ないが 元々この能説曼荼羅は當経十七段法門の重説理趣に依っ
て描いたものであるから、能説曼荼羅は、理趣経序分の説会の主判を顕すと同時に當経十七
段の説主を描いたものであるから特に能説曼荼羅と名図けられたもので 此の理趣経の異譯
に  金剛智三蔵の譯(薦福寺の金泥曼荼羅)白描図が存在しているが、特に不空譯を採用
し、理趣経血脈から金剛智を除いた事は実に此の不空譯には重説理趣を説いて、八大菩薩等
自ら自己内証を説く事を明かし密教に於ける自受法楽各説三蜜の相を如実に示す為である。 
依ってこの能説曼荼羅が理趣経にとつてとくに重大な意味を持つことを知ることができる。 
更にこの八大菩薩の説主として意味を徹底せんが為に一経十七段が八大菩薩に依って何故に
説かれたかを示せば 當経、
・初段の法門
重説理趣に於いて金剛手菩薩が重ねて正説の法門を説き給う事を明かすが故に能説曼荼羅の
金剛手菩薩に摂し、       
・第二段の法門
大日如来の三昧を明かしたものであるから、能説の中台に摂し、                          
・第三段の法門己下~第十段迄 
正しく八大菩薩の三昧を明かしたものであるから、能節の八大菩薩に摂し         
・第十一段の法門 
金剛手菩薩 吽字 を説き給うことを明かすが故に能説曼荼羅の金剛手菩薩に摂し、
・第十二段己下の四段の法門

能説曼荼羅【理趣経総曼荼羅】解説書(3)  大進美術株式会社

前述の如く、眞海曼荼羅に於いては、能説曼荼羅の中台に摂し
       印融曼荼羅に於いては第三重の四天に摂し、
・第十六段の法門 理趣釈に
( 所以不説 心真言者、彼教中一一聖衆、各有一字心真言、不可具載。今略指方隅。云云)
 と述べている様に、この一段は所謂五部具会の三昧を明かしたものであるから、能説曼荼
羅の何れの尊か、そのよしきにそって、摂すべきである。
・第十七段の法門
吽字 法門であるから東方金剛手菩薩に摂すべきである。
かくの如く理趣経序分に明かす八大菩薩は単なる同聞衆ではなく當経、 十七段の法門を内
証とする能説の主である。以上理趣経の序分に聴聞衆としてあげられている八大菩薩は同
時に理趣経各段重説の教主であるから これを能説の集会として描いた事情、この八大菩
薩は、直接金剛界曼荼羅の十六大菩薩の代表である。これ故にこの曼荼羅を(理趣経総曼荼
羅)と名付けられ、真言密教にとつて、重要な曼荼羅である。
また理趣釈の法門はただその文章を解釈すべきものではなく、この法門に依つて自己の真性
を徹見すべきものである。この能説曼荼羅は真言秘蔵の法門を表現すると共に一切仏教を包
括するもので釈尊教説の理想の全体をあらわしたもので、到底翰墨に載せ難し書すことの出
来ない妙理趣を包括している。三蜜修行の本尊として、仏としての自己の活力を獲得する事
を目的とする。
参考文献  理趣経能説の曼荼羅について 元大正大学学長・智山派管長 芙蓉良順