「釈迦誕生図」(しゃかたんじょうず)
灌仏会(かんぶつえ)/仏生会(ぶっしょうえ)/降誕会(ごうたんえ)/竜華会(りゅうげえ)/花まつり本尊(はなまつりほんぞん)
是非、この機会にお祀りください。
本紙を新たにご希望のサイズに描き、本紙に合った表装まで承ります。お気軽にご相談下さい。
S-109
1.8x4.0尺丈
L-61
2.0x4.0尺丈
L-64
2.0x4.0尺丈
A-20
2.9x3.5尺丈
L-77
1.8x4.0尺丈
商品:M-149
灌仏~成道~転法輪~涅槃
8寸×1.1尺丈×4枚組
¥500,000-(税込)
「稚児大師」(ちごだいし)絹本手描極彩色
来年の令和5年は、弘法大師さまご生誕1250年の記念年となります。是非この機会にお祀りください。
商品:S-185
1.5尺巾×3.0尺丈
(約45CM巾×91CM丈)
¥200,000(税込)
掛軸表装・桐箱込
空間に描かれております円には厚みがあり立体的に見えることで、稚児大師が強調されます。
S-184
L-93
P-84
本紙を新たにご希望のサイズにて描き、表装(掛軸、額、硯屏、等々)致します。お気軽にご相談下さい。
NO45、宇宙的叡智へ(供養曼荼羅)隨縁・法爾
大宇宙の森羅万象と人間を分かたず、物質と精神を乖離させることのない秘密の教えが、真言密教であり、我々が密教を知ろうとするとき、忘れてならないのは、あらゆる事象を内に取り込み、外法の神をも包含しつつ、現象世界を超えた智慧によって全てを統合する。 偉大なる智の力である。我々人間の言葉や概念による物事の認識には限界があり、論理的な認識や合理的証明で把握しえない世界であることに早く気ずくべきです。しかし我々の思考・知の視点でほとんどの世界・対象をとらえているのが現状です。この視点とはまつたく異なる智の視座に立つとき論理的理性的の把握しえなかった、宇宙の世界の本質・真理へ迫る事が出来ると思います。この曼荼羅は空海の声字(隨縁)即実相(法爾)の供養観を表現
【五大に皆響き有り、十界に言語を具す、六塵悉く文字在り、法身は是実相成】
曼荼羅の聖なる空間は虚空で、瑠璃色でなくてはならない。瑠璃色とは衆色を具足した意で、他の色に勝るとされ魔障を取り除き浄菩提心や慈悲の心を芽生えさせる色である。又瑠璃色地に金色で、三弁宝珠が描かれています。宝珠は、真陀摩尼(チンターマニ)と言い印度仏教における「何でも欲しいものを出現させ与える」と言う功能を持つもので、舎利が如意宝珠に変ずることは印度仏教以来の通念であり、密教では過去久遠の仏舎利が変じて如意宝珠になったとされています。三昧耶形の三弁宝珠とは、三つの宝珠が集まった形で、虚空蔵菩薩の三昧耶形でもある。伝統的な教理学では、この三つの宝珠は、仏部・蓮華部・金剛部の三部、身口意の三密などを表す。金剛頂経では一切の虚空界が毘盧遮那の心に入り、一切の世間界に遍満するほどの金剛宝珠となって顕現するとされる。真言宗においては空海の御遺告において如意宝珠の果たす役割が、五穀豊穣ならしめ衆生利益すると言う護国的修法(御七日御修法)「みしほ」と呼ばれていて、現在も1200年継続されております。胎蔵、金剛界の両部によって修法され、いずれも宝生如来の法と捉え、種子・三昧耶形・印等も金剛界の宝生如来の修法と同様に行じられる。修法に際しては檀上に仏舎利を置き、宝生如来の三昧耶形(三弁宝珠)と仏舎利や室生山の三宝が一体なることを観想する、胎蔵法においても同じ所作で臨む、胎蔵法においては金剛界法を果曼荼羅、胎蔵法は、因曼茶羅と扱う視点から宝菩薩を本尊として修法する。金剛界の宝生如来は、悟りを開いたのちの姿であり、その前身は胎蔵の宝菩薩であり、虚空蔵菩薩と同体とされる。しかも宝生如来=宝菩薩の本体は如意宝珠であり、これは仏舎利と同体であるとされる。又釈迦滅後の衆生済度のために、浄土往生の功徳を示す宝珠の展開もみせている。このようにさまざまに三弁宝珠が真言密教では最重視されたからに他ならない。
宇宙の森羅万象はすべて大日如来の徳のあらわれであり、一切の諸仏、諸菩薩、諸天の徳もこの如来の徳に他ならないと言うのが密教の基本的考え方であり、これを図示したのが胎蔵、金剛界の両部の曼荼羅である。宇宙の真理の象徴としての絶対的存在を王者の姿に見立てて表現、坐像としてあらわされるのは常に宇宙の中央に位置する絶対的存在であることを意味しているからで、金胎二種の大日如来の形は印相を異にする以外はまったく同形で、胎蔵の大日如来は、法界定印を結び、金剛界の大日如来は、智拳印を結んでいる。定印は坐禅や 瞑想に最も好んで用いられ、密教の実践的な面(事相)を示す。智拳印は最高の悟りの境地を象徴するものであるといい、密教の知的な面(教相)を示している。
弘法大師空海は、「即身成仏義」の中で、加持のことを次のように説く、
「仏日の影衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水よく仏日を感ずるを持と名ずく」般若の教えは、究極には如来と衆生とは本来別なく、平等一如を体することにあつた。如来の心が衆生の心に生き、衆生の心は如来の心となって生きることを示す。如来と衆生の平等から一歩進めて、衆生そのものが如来、我そのものが大日となり、われわれの行動はすべて大日如来の働きとなっている。大日如来が一切有情の加持する般若理趣を説く、一切衆生は本来如来の心を秘めている(如来蔵)から加持せられるとき、一切衆生はそのまま大日如来となる。如来としての働きは、一切衆生は、如来蔵と金剛蔵と妙法蔵と羯磨蔵を秘めている。般若の教えを体得すれば、秘蔵の蔵は開かれて四部、四仏、四智の主体となり、大日如来の働きそのものとなる。四種蔵性は大日如来(法界体成智)の四徳、金剛部(大円鏡智)、宝部(平等性智)、法部(妙観察智)羯磨部(成所作智)の四智を示す、これの統合が、大日の世界の五部であり、五智である。
欲・触・愛・慢の四金剛女が金剛薩埵を囲饒する五秘密思想で、般若と方便の合一した大安楽に住する金剛薩埵の境地を、男女交接の快楽である妙適をもつて表し、さらにその境地に至る過程を愛欲を熱望すること(欲)接触すること(触)愛念すること(愛)愛欲を自在になしたことへの(慢)の四段階に分け、象徴化する思想で、ここに言う大楽金剛薩埵の境地とは、理趣経の説く、煩悩即菩提、染浄不二の教理に基づき、大乗菩薩としての真言行者が密教の行を実践することによって得られる成仏の悟境に他ならない。
不動明王の明は明呪のことでもある。明呪とは真実の世界をもたらす言葉で、真言とも言う。密教では真言を唱えることによる効力は絶大で、種々の祈願が成就すると言う信仰がある。その力の最も絶大なるものに対して明王と言う。密教特有の尊像で大日如来の一つの表現である。明王は如来の命を受けて一切の魔障、すなわち反仏教的な衆生を調伏するために現れる。明王を代表するのが不動尊であり、「お不動さん」の愛称で我々に、もっとも親しまれている明王である。大日如来は、崇高な仏陀である。そこで人間に親しみやすい菩薩の姿となり、般若菩薩としてあらわれ我々を強化する。しかしなお、煩悩にとらわれて迷う衆生を救う為に奴僕の身となって、働き、かつ屈伏させても救済しようと、念怒の不動尊の身に変じて現れる。この考えを三種輪身と言い如来を自性輪身(本体)、菩薩を正法輪身(説法する姿)、明王を教令輪身(如来の教えを実行する姿)という。すなわち、不動尊は、大日如来の教令輪身と言える。日本に最初に不動尊を請来したのは弘法大師空海である。
釈迦如来が没してから五十六億七千万年のちの弥勒仏の出現まで、人間世界を含むこの娑婆世界は如来のいない時代である。その間に地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道を輪廻して苦しむ我々衆生を教化し救済する誓いを立て実行している菩薩が、地蔵菩薩である。地蔵菩薩はあらゆる場所に身を変じて現れ、地獄に落ちた衆生も救済する。衆生済度、救う事を容易にするため人々に親しみやすい声聞形(釈迦在世頃の弟子の姿)すなわち、僧形となって現れその化身の姿で信奉されている。菩薩でありながら地蔵は僧形に描かれる。図像は半跏像で左手に宝珠を持ち、右手に錫杖を握っている。錫杖を持つ像容は、六道をめぐり衆生を救う行脚の姿で平安中期以降の地蔵菩薩の一般的な姿で宝珠と錫杖を持つ半跏の地蔵を後世、延命地蔵尊とよばれる。十王信仰では地蔵菩薩は閻魔王の本地仏であり多くの仏尊の中で地蔵菩薩だけが、地獄まで行き衆生を救う事が出来るとされております。
五輪塔とは・・・五輪塔の形は仏教で説く万物の構成要素である地・水・火・風・空の五大を形どったもので真言密教の中から生まれたものとされ、それは人間も死ねば、森羅万象(宇宙に存在するすべてのもの)、大日如来とおなじ、地・水・火・風・空の五大に帰一されるべきものと言う考え方によるものと言われています。この考え方は真言宗の中興の祖と言われた覚鑁上人で、高野山金剛峯寺の座主にまでなった覚鑁上人ですが、元は高野聖だった事が、思想と行動に大きな影響を与えたと言われています。五輪塔に死後の即身成仏の意見を込めて五輪塔が生まれる原理・理論となった「五輪九字明秘密釈」を伝え仏力・法力によって地獄の苦を脱する事を破地獄といい、三本の破地獄儀軌がありますが、覚鑁が使用したのは、三種悉地軌で(阿・鑁・藍・哈・欠)を五根・五蘊・五行・五方へ配当しています。この自身成仏図が、五輪塔の原型になったと言われています。五輪塔とは密教の即身成仏を完成した姿で、三密(身密・口密・意密)を実践している姿であり、日本人のお墓の意味、考え方、建墓の仕方、供養など五輪塔と言うお墓を通じて高野聖達が全国に広め、これが、お墓の基準となったと考えられます。五輪塔婆とは・・・密教哲理から観れば、宇宙法界五大所成でその生物たると無生物たるとを問わず、在りとし在るものは皆悉く五大ならざるはなく、その五大の標識にこの梵字(きゃ・か・ら・ば・あ)が使われます。五大を形で表現すれば五輪となり、宇宙法界は五輪の大塔とみて五大を我が体の上に観想せしめ五大と五臓との交渉に依って大日経秘密曼荼羅品の初めに説かれる入我我入(さとばん)の行法に五輪厳身の観想(宇宙観・通観)としてこの梵字が順・逆と廻転、即身を宇宙に拡大させます。五大は悉く如来の三昧耶身とり五輪は法界身となって五輪の意味ものちに転化し一切功徳を円満具足していることを示唆してこの五輪法界身を五輪法界塔、一般に用いられる五輪塔婆は法界塔の標識でそのままが法界身とります。密教の世界観としては五大に識を加えて六大とし、その六大が密教の宗体です。
般若理趣経では、思唯・読誦・作意するならば重罪を除き、無上の悟りを開く事が出来ると繰り返し説かれている。空海はこの様な利益に基ずき追善供養の場面において本経を重視したようである。般若理趣経を追善滅罪に用いる事は今の真言宗と同様であるが、その実践は、書写や講演が中心であつた用ですが、現行の真言宗では、読誦が中心となっている。実相般若経答釈に次のように言及されている.「これが大楽金剛の三昧である。修行者は毎日この三昧の秘観によって、この経を受持し読誦するならば必ずこの尊の三昧を獲得できる」と記されています。
高野山真言宗 和歌山宗務支所 現福寺本 宮崎龍祥 権大僧正
仏画制作 大進美術株式会社
No.44 宇宙的叡智へ(空海の理趣経観)
大宇宙の森羅万象と人間を分かたず、物質と精神を乖離させることのない秘密の教え―。我々が密教を知ろうとするとき、忘れてならないのは、あらゆる事象を内に取り込み、外法の神をも包含しつつ、現象世界を超えた智慧によって全てを統合させようとした、偉大なる「智の力」であろう。たとえば空海がそうしたように。
曼荼羅の聖なる空間は虚空で瑠璃色でなくてはならない。瑠璃色とは衆色を具足した意で、他の色に勝るとされ魔障を取り除き浄菩提心や慈悲の心を芽生えさせる色である。又瑠璃色地色に金色で、三弁宝珠が地模様として描かれています。宝珠は、真陀摩尼(チンターマニ)と言い印度仏教における「何でも欲しいものを出現させ与える」と言う功能を持つもので、舎利が如意宝珠に変ずることは印度仏教以来の通念であり、密教では過去久遠の仏舎利が変じて如意宝珠になったとされています。
真言密教では空海の御遺告において如意宝珠の果たす役割が、五穀豊穣ならしめ衆生利益すると言う。護国的修法(御七日御修法)「みしほ」と言われて現在も1200年東寺にて続けられております。胎蔵、金剛界の両部によって修法され、いずれも宝生如来の法と捉え、種子・三昧耶形・印等も金剛界の宝生如来の修法と同様に行じられる。修法に際しては檀上に仏舎利(恵果付嘱・空海請来の東寺の仏舎利)を置き、宝生如来の三昧耶形(三弁宝珠)と仏舎利や室生山の三宝が一体なることを観想する、胎蔵法においても同じ所作で臨む、胎蔵法においては金剛界法を果曼荼羅、胎蔵法は、因曼茶羅と扱う視点から宝菩薩を本尊として修法する。金剛界の宝生如来は、悟りを開いたのちの姿であり、その前身は胎蔵の宝菩薩であり、虚空蔵菩薩と同体とされる。「如意宝珠とは即ち釈迦の分身舎利である」しかもそれは「自然道理の」とされる事からすれば、応身の釈迦の舎利ではなく、法身(大日如来)の舎利と言うことになろう。「法身大日如来=変化法身釈迦の真身(生身)」と言うことである。又釈迦滅後の衆生済度のために、浄土往生の功徳を示す宝珠の展開もみせている。この様に真言密教において如意宝珠は「飲食・衣服・音楽・七宝などの人の求める物を、求めるに従がってだすもの」とされる。さまざまな形に於いて三弁宝珠が真言密教で最重視されたからに他ならない。
宇宙の森羅万象はすべて大日如来の徳のあらわれであり、一切の諸仏、諸菩薩、諸天の徳もこの如来の徳に他ならないと言うのが密教の基本的考え方であり、これを図示したのが胎蔵、金剛界の両部の曼荼羅である。宇宙の真理の象徴としての絶対的存在を王者の姿に見立てて表現、坐像としてあらわされるのは常に宇宙の中央に位置する絶対的存在であることを意味しているからで、金胎二種の大日如来の形は印相を異にする以外はまったく同形で、胎蔵の大日如来は、法界定印を結び、金剛界の大日如来は、智拳印を結んでいる。定印は坐禅や 瞑想に最も好んで用いられ、密教の実践的な面(事相)を示す。智拳印は最高の悟りの境地を象徴するものであるといい、密教の知的な面(教相)を示している。
弘法大師空海は「即身成仏義」の中で、加持のことを次のように説く、「仏日の影衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水よく仏日を感ずるを持と名ずく」
般若の教えは、究極には如来と衆生とは本来別なく、平等一如を体することにあつた。如来の心が衆生の心に生き、衆生の心は如来の心となって生きることを示す。如来と衆生の平等から一歩進めて、衆生そのものが如来、我そのものが大日となり、われわれの行動はすべて大日如来の働きとなっている。大日如来が一切有情の加持する般若理趣を説く、一切衆生は本来如来の心を秘めている(如来蔵)から加持せられるとき、一切衆生はそのまま大日如来となる。如来としての働きは、一切衆生は、如来蔵と金剛蔵と妙法蔵と羯磨蔵を秘めている。般若の教えを体得すれば、秘蔵の蔵は開かれて四部、四仏、四智の主体となり、大日如来の働きそのものとなる。四種蔵性は大日如来(法界体成智)の四徳、金剛部(大円鏡智)、宝部(平等性智)、法部(妙観察智)羯磨部(成所作智)の四智を示す、これの統合が、大日の世界の五部であり、五智である。
欲・触・愛・慢の四金剛女が金剛薩埵を囲饒する五秘密思想で、般若と方便の合一した大安楽に住する金剛薩埵の境地を、男女交接の快楽である 妙適 をもつて表し、さらにその境地に至る過程を愛欲を熱望すること、接触すること、愛念すること、愛欲を自在になしたことへの慢の四段階【欲・触・愛・慢】に分け、象徴化する思想で、ここに言う大楽金剛薩埵の境地とは、理趣経の説く、煩悩即菩提、染浄不二の教理に基づき、大乗菩薩としての真言行者が密教の行を実践することによつて得られる成仏の悟境に他ならない。
不動明王の明は明呪のことでもある。明呪とは真実の世界をもたらす言葉で、「真言」とも言う。密教では真言を唱えることによる効力は絶大で、種々の祈願が成就すると言う信仰がある。その力の最も絶大なるものに対して明王と言う。密教特有の尊像で大日如来の一つの表現である。明王は如来の命を受けて一切の魔障、すなわち反仏教的な衆生を調伏するために現れる。明王を代表するのが不動尊であり、「お不動さん」の愛称で我々に、もっとも親しまれている明王である。大日如来は、崇高な仏陀である。そこで人間に親しみやすい菩薩の姿となり、般若菩薩としてあらわれ我々を強化する。しかしなお、煩悩にとらわれて迷う衆生を救う為に奴僕の身となって働き、かつ屈伏させても救済しようと、念怒の不動尊の身に変じて現れる。この考えを三種輪身と言い如来を自性輪身(本体)、菩薩を正法輪身(説法する姿)、明王を教令輪身(如来の教えを実行する姿)という。すなわち、不動尊は、大日如来の教令輪身と言える。日本に最初に不動尊を請来したのは弘法大師空海である。お大師様は不動明王ではなく不動尊と言われた。
空海の真実経文句は理趣経の全体にわたって考察した唯一の書であり、無論、不空の理趣釈によりながら、大師独自の解釈を織り込んでいます。この尊像は、両部曼荼羅の胎蔵曼荼羅の編知院の南側に描かれており、一面二十臂で、十六大菩薩の十六尊と四摂菩薩の四尊を三昧耶形であらわした恵果阿闍梨の意楽像(考案像)で、恵果阿闍梨は、「金胎不二思想」ならびに、理趣経の「十六大菩薩生」を重要視され考案された尊像で、大師は「大安楽普賢延命金剛薩埵位」と記しています。胎蔵曼荼羅では大安楽不空金剛三昧真実菩薩と呼ばれており、一般には普賢延命菩薩と同体とされていますが、厳密には異にします。不空の理趣釈では、理趣経曼荼羅の中尊は金剛薩埵であり、欲・触・愛・慢の五秘密思想であり、五秘密の世界の体得は金剛界五仏の体得であり、それが十七清浄の大楽の世界の体得であることを力説し、金剛頂経の解釈をもつて説明されている金剛薩埵曼荼羅なのです。おそらく大師の理趣経観において恵果阿闍梨の「金胎不二思想」並びに「十六大菩薩生」を重要視され金剛薩埵像よりもこの尊像(大安楽普賢延命金剛薩埵、)が、よりふさわしいと考えられました。それは、理趣経の祖典となる「降三世軌」「悪趣清浄軌」の精神、いわゆる八幅輪構想の基に描かれた説会曼荼羅の般若思想は、不空訳の理趣釈では、見られない為、理趣経の序説に記述される大毘盧遮那如来(法界定印)をはじめ、八大菩薩のことを深く考察されたと思われます。それ故に空海の真実経文句においては「十六大菩薩生」の獲得こそが最重要視する事であるとの考えから、真実経文句において、改め記されました。あまりなじみのないこの尊像は二十臂で、十六大菩薩と弱・吽・鎫・斛(四摂菩薩)のみを三昧耶形であらわした尊像であります。恵果阿闍梨は、特に「金胎不二思想」を重要視され、八大菩薩を三昧耶形であらわした、この尊像を考案されたものと思われます。この様な理由で、真実経文句において、大安楽普賢延命金剛薩埵と記された重要なる尊像で、この尊像が、理趣経のすべを表すと考えられたようです。又不空訳の理趣釈では八大菩薩を前・後・右・左・東南・西南・西北・東北で示していますが、大師は、陰陽五行思想の陰陽説で、森羅万象の状態を表す概念の震・兌・離・坎・巽・坤・乾・艮と改めておられます。
五輪塔とは・・・五輪塔の形は仏教で説く万物の構成要素である地・水・火・風・空の五大を形どったもので真言密教の中から生まれたものとされ、それは人間も死ねば、森羅万象(宇宙に存在するすべてのもの)、大日如来とおなじ、地・水・火・風・空の五大に帰一されるべきものと言う考え方によるものと言われています。この考え方は真言宗の中興の祖と言われた覚鑁上人で、高野山金剛峯寺の座主にまでなった覚鑁上人ですが、元は高野聖だった事が、思想と行動に大きな影響を与えたと言われています。五輪塔に死後の即身成仏の意見を込めて五輪塔が生まれる原理・理論となった「五輪九字明秘密釈」を伝えました。又仏力・法力によって地獄の苦を脱する事を破地獄といい、三本の破地獄儀軌がありますが、覚鑁が使用したのは、三種悉地軌で(阿・鑁・藍・哈・欠)を五根・五蘊・五行・五方へ配当しています。この「自身成仏図」が、五輪塔の原型になったと言われています。五輪塔とは密教の即身成仏を完成した姿で、三密(身密・口密・意密)を実践している姿であり、日本人のお墓の意味、考え方、建墓の仕方、供養など五輪塔と言うお墓を通じて高野聖達が全国に広め、これが、お墓の基準となったと考えられます。五輪塔婆とは・・・密教哲理から観れば、宇宙法界五大所成でその生物たると無生物たるとを問わず、在りとし在るものは皆悉く五大ならざるなく、その五大の標識にこの梵字(きゃ・か・ら・ば・あ)が使われます。五大を形で表現すれば五輪となり、宇宙法界は五輪の大塔とみて五大を我が体の上に観想せしめ五大と五臓との交渉に依って大日経秘密曼荼羅品の初めに説かれる入我我入(さとばん)の行法に五輪厳身の観想(宇宙観・通観)としてこの梵字が順・逆と廻転、即身を宇宙に拡大させます。五大は悉く如来の三昧耶身となり五輪は法界身となって五輪の意味ものちに転化し一切功徳を円満具足していることを示唆してこの五輪法界身を五輪法界塔、一般に用いられる五輪塔婆は法界塔の標識でそのままが法界身とります。密教の世界観としては五大に識を加えて六大とし、その六大が密教の宗体である。
般若理趣経では、思惟・読誦・作意するならば重罪を除き、無上の悟りを開く事が出来ると繰り返し説かれている。空海はこの様な利益に基ずき追善供養の場面において本経を重視したようである。般若理趣経を追善滅罪に用いる事は今の真言宗と同様であるが、その実践は、書写や講演が中心であつたようですが、現行の真言宗では読誦が中心となっている。実相般若経答釈に次のように言及されている。「これが大楽金剛の三昧である。修行者は毎日この三密の秘観によって、この経を受持し読誦するならば必ずこの尊の三昧を獲得できる」ときされています。
仏画制作 大進美術株式会社
伸縮自在により、伸縮最長「約7尺2寸(2m18cm)」の掛軸まで掛けられます。
伸縮最短は「4尺(1m21cm)」まで対応でき、組み立ても簡単でコンパクトに収まります。
サイズ:4尺(1m21cm)~
7尺2寸(2m18cm)
価格:¥33,000(税込)
4/8、釈迦誕生を記念する灌仏会の御本尊
釈迦如来の一生に関連する経典は、「普曜経」・「方等大荘厳経」・「仏本行集経」・「釈迦譜」・「過去現在因果経」・「釈迦如来成道記註」などである。中国の仏伝の図像は多くの経典を基にしており、多様であったと推測される。異時同図法で、釈迦誕生の奇瑞相を描く。画面を大きく五段に区画した中に表現される。各場面には短冊がみられ、それにより図の内容と図像が分かる。一段目は、上部中央額装に、「天上天下 唯我為尊 三界皆苦 我當安之」(⓪)【誕生偈】、右側にその時中国では周の昭王(㉑)が即位していたが、4月8日に、川と井戸の水がみな枯れ、山や宮殿が震動しいつもの星が昇ることなく(㉓)五色の光が太微宮を貫き通り(㉔)西方が一面に青紅色となつたので、昭王が群臣に尋ねたところ太史の蘇由が(㉒)「西方に聖人がお生まれになりました。この後千年がたちますと、その法がこの地にも伝わって参ることでしょうと申しあげた。」一切の天、人もみな集まり讃嘆して「早く仏にお成りになり,衆生を済渡してください」と言つた。(⑯)【諸天衆来】、左側に、ただ魔王だけは、自らの席に安らかに座つていられずに、やきもきした。(⑲)【魔王不安本座】、天竜八部衆が空中で音楽を奏で、(⑮)夜叉王たちが左右に誕生壇を囲鐃した(⑬・⑭)中央には【九龍下香水】の場面を描く。二段目の誕生壇では中央に、太子の九龍下香水(⑫)、九頭の龍は、香水を下して太子に注いだ。左側の水は温かく、右側の水は冷たかった。注ぎ終わると帝釈天と梵王が天衣をかけてお包みした。帝釈天(⑩)は、蓋をかざし、梵王(⑪)は白払を持ち、両脇に立つ。太子の前には、摩訶波闍波提(母の妹)(㉞)右に摩耶夫人、(母)(⑤)無憂樹(➇)の枝が自然に曲がり下がつてきたので、夫人が右手で枝を捕まえ花を折ろうとなさると、太子が右側の脇腹からお生まれになった。【釈迦誕生】大きな智慧の光明を放ち十方世界を照らしだした。その時、七宝の蓮華が現れた。(㉕)そして、七歩歩んで、右手で天を指し、左手で地を指して【天上天下唯我独尊】と宣言した。その時四天王(➈)が天の綿で抱き上げて金の几の上にお載せ申した。瓔珞と衣服と花の雨が混ざって降ってきた。(⑱)四つの泉が湧き上がり、(⑰)地中から宝物が自然に湧き出した。(②)夫人の後ろには婬女が(⑳)天の綿で太子をくるんで抱き夫人の下に行きお仕えすると,28名の大神が四隅で待衛した。三段目右は、王宮の浄飯王(父)(㉗)青衣(㉖)が王宮に戻り太子誕生を王に報告申し上げる。白象も園の前庭に来て屈みこみ、空中には細かい香雨が降り始め、宮中では自然にあらゆる種類のご馳走が現れて、飢えた人々を救済し、(④)【自然百味飯食】、億釈(浄飯王)(㉝)が、四兵(㉘)をお連れになり、釈姓(㉙)の一族を集めて園内にはいる。梵志(㉚)と相志(㉛)がそろって万歳を唱える。四段目右は、天の神霊は、七宝で飾った乗り物を引いて到着した。(①)摩耶夫人が雲母の宝車に乗り庭園の見物に出かけた時、三千国土が六種に震動し四天王(⑥)が夫人の乗る車を引き、梵天(⑦)が道案内をし、無憂樹の下(⑧)まで行った。左は、海上では五百名の商人が宝物を得て戻り、王に捧げた。(㉜)五段目右は、雪山の五百の獅子が門にやってきて、(③)手足をのばした。瑞祥を意味する動物の出生部分には、腱陟駒、(㊲)厩馬生駒、(㊱)牛羊各生五色羔犢、(㉟)と書き込みがある。本図原本は中国清代に専心堂という木版専門の制作所で摺られた版木に極彩色を施したもので、画面中央下に、篆書体の朱書銘あり、それには(員蓮社功怜成専心堂之蔵版)とあり香川県法然寺に伝来、箱書きには、天保八年(1837)に、十二代将軍徳川家慶の就任を祝賀する為江戸へ赴いて増上寺に宿泊の折、増上寺の住持である功誉大僧正より拝受したものであると記載、四幅の内の彩色本が法然寺本、三幅の墨摺本は、浄願寺・伝修寺・西方寺に分配されたと記される。内容は、「過去現在因果経」に基ずくもので、朝鮮・日本に伝来した。朝鮮では、本図を基に釈譜詳節と合本され(月印釈譜)の本文に該当、「月印千江之曲」が作られた。いずれにせよ、中国を含めた東アジアの仏教図像が流通する中で、中国・朝鮮・日本と「釈迦誕生」という歴史的な事件の状況を厳かに、かつ理解しやすく、広く流布させるために、絵画化した墨摺本、版木極彩色仕上の仏伝図である。
制作仏画 大進美術株式会社
手描絹本極彩色仕上 正絹緞子表装桐箱付
画寸:A-20 釈迦誕生図
32.9×3.5尺丈
¥500,000(税込)
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薬師瑠璃光如来本願功徳経
薬師如来は、正式には、薬師瑠璃光如来で、医王という別名で呼ばれたりもします。薬師如来は、やつこ(薬壷)を左手に載せ、右手は施無畏印というお姿が一般的で、薬師如来のみでお祀りされることは少なく脇侍として日光菩薩・月光菩薩、あるいは、眷属として、十二神将を従えています。薬師如来の功徳は現世利益であつて、人がこの世で生きる為に必要なものを授けてくれ、その中で多くの人々が苦しめられている病気、その病を除いてくれるという部分が強調されて、病気平癒・延命長寿という薬師如来信仰を決定ずけたものと考えられています。仏の教えを守り仏道修行に遭遇するものを、菩薩と言います。如来とは悟りを得て、仏になつた状態なのですが、薬師如来もずつと昔は菩薩でした。菩薩はみな、基本的な誓願という誓いを立てています。
薬師如来の五大願
衆生は無辺なり 誓って度せんことを願う
福智は無辺なり 誓って集めんことを願う
法門は無辺なり 誓って学ばんことを願う
如来は無辺なり 誓って事(つか)えんことを願う
菩提は無上なり 誓って証せんことを願う
薬師如来の十二の大願とは、先の五大願を基本にして、菩薩の頃の薬師如来が、将来如来に成つたときに実行すべき衆生救済の為の十二の誓いのことです。五大願と区別する為に別願と呼ばれたりもします。
薬師如来十二大願(別願)
自らの光で三千世界を照らしあまねく衆生を悟りに導く
仏教七宝の一つである瑠璃の光を通じて仏性を目覚めさせる
仏性を持つ者たちが悟りを得るために欲する、あらゆる物品を施す
世の外道を正し、衆生を仏道へと導く
戒律を破つてしまつた者をも戒律を守れるよう援ける
生まれつきの障碍、病気、身体的苦痛を癒す
困窮や苦悩を除き払えるよう援ける
成仏するために男性への転生を望む女性を援ける
一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける
重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける
著しい飢えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く
困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す
※密教との関係
密教経典としては、薬師瑠璃光如来消災除難念誦儀軌、薬師七仏供養儀軌如意王経、等がある。薬師経に説かれている事から、真言宗(東密)では顕教系の如来とされ、本来あまり重視されないが、覚禅抄(東密)において、胎蔵大日如来と同体と説かれている。雑蜜系の別尊曼荼羅では中尊となることも多いが、純蜜の両界曼荼羅には見られない。一方で伝統的に皇室と結びつきが強かつた天台宗(台密)では薬師如来が、東方瑠璃光世界の教主であることから、東の国の帝たる天皇と結びつけられもした。阿娑縛抄(台密)で、釈迦如来・大日如来と一体とされている が、顕教での妙法蓮華経に説かれる久遠実成の釈迦如来=蜜教の大日如来との解釈 と、釈迦如来の衆生救済の姿という二つの味方による。東方の如来ということから五智如来の阿閦如来とも同一視される。本図像は清朝六代皇帝、乾隆帝(1735~1796)お抱えの宮廷絵師、黎明(レイメイ)の描いた法界源流図より、薬師瑠璃光仏会と薬師十二大願を抜粋して描いたもの。
薬師瑠璃光仏絵図 手描絹本極彩色仕上 正絹緞子表装桐箱付(額装も可能)
画寸:A-9
3.0尺巾x1.5尺丈
¥450,000(税込)
薬師十二大願図 手描絹本極彩色仕上 正絹緞子表装桐箱付(額装も可能)
画寸:A-6
2.5尺巾×4.8尺丈
¥450,000(税込)