仏画コラム
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49,理趣経「百字偈」・空海御影

理趣経百字偈

仏画

「菩薩の勝慧ある者は乃し生死を尽くすに至るまで、常に衆生の利をなして而も涅槃に趣か
ず」とあるのは金剛薩埵の理想の生き方を示したものである。菩薩の勝慧ある者とは真言行
者が般若理趣経に説く智慧を体得した人を指し、そのような人を金剛薩埵という。それはま
た大楽を味わい、大欲に生きる人であるからすべての人に大楽の世界を味わわせようと利他
教化の聖業に励んでいく人である。生死を尽くすの生死とは、原始仏教以来問題とされた人
生の苦悩、生死病死である。人は生きていく限りこの運命的な苦から逃れることはできない
仏教は、一貫してこの生死の苦を解決し涅槃を求めることにある。それは自己自身の解決の
問題であるばかりでなく、広く人類一般の問題である。如来の心に生きる勝れた人、金剛薩
埵は自己の問題を解決し、自己のみ安楽に留まることなく進んで人を教化し、「而も生死の
尽くすまで涅槃に趣かず」とは生涯を通して衆生の苦が無くなるまで利他教化の働きに精神
することを力説する。大乗仏教で示す理想的な人間のあり方は自己の完成を求める自利向上
(解脱)と人を教化する利他向下(救済)の社会実践を極めて重視する。そしてこの自利利
他を生涯続けていく生き方を無住処涅槃の大乗菩薩道と言うのである。「理趣経」の立場も
まったく同じで、これが法身毘盧遮那の教えであると説く。では具体的にどの様に教化して
いくかは、以下の四頌に説かれている。
「般若と及び方便との智度をもって悉く加持して諸法及び諸有の一切を皆清浄ならしむ」と
いうのは、慾金剛明妃菩薩の生き方を示したものである。般若はせまい自我を打ち破る厳し
い大智の生き方である。しかしそれだけでは、真の教化はなされない。一方に大悲に基ずく
慈愛育成の心がなければならない。この大智と大悲がともに働くとき、真実智慧の教化はな
されるのである。この働きによってすべてのものは浄化され、世界の自性は明瞭となり、自
己の真実を見極めることができ、すべては清浄世界であることが体得でき、清らかな菩提心
は働くのである。ここに阿閦如来の理想とする世界は開かれる。
「欲等をもって世間を調し浄除を得しめるが故に、有頂より悪趣に及ぶまで調伏して諸有を
尽す」とは触金剛明妃菩薩の理想を表したものである。それは大欲をもつて世間の欲望をコ
ントロールし、欲の本性を見極めさせて心を清浄に導く。ここに本性の美しい心は顕われ小
欲は人間形成の大欲となっていく。この立場で諸々の人、暗黒滅亡の渕に沈む人たちに教化
を行い、本性の宝珠の心を顕わすことによりこの世界を宝土と化していく。それは宝生如来
の世界を開いて行くことになる。
「蓮体の本染にして垢の為に染められざるが如く、諸欲の性もまた然なり。不染にして群生
を利す」とは愛金剛明妃菩薩の理想を示したものである。蓮華は汚泥より生じて泥に染まら
ず、しかも赤白青とそれぞれの本来の美しい花を咲かしていく、このように人それぞれの心
も同じである。人はその心の本性清浄を自覚していくならば、人の個性や欲望はみな輝いた
長所を持っている。この長所を生かすことにより、個に即して教化の働きに転ずる事ができ
る。これは無量寿如来の大悲の働きが実現することを意味する。
「大欲は清浄を得、大安楽にして富饒なり。三界に自在を得て能く堅固の利を作す」とは金
剛慢明妃菩薩の理想を示したものである。慢は自己を主張する欲望の表れである。しかしこ
の心を大きく転じ大慢となれば大欲を生ず。それは真実の生き方を体得した自信に満ちた行
動となりいかなる濁世の中にも毅然と生き抜く堅固不動の心は生ずる。ここに始めて真実の
生き方を指導する教化の働きは生ずるのである。それは不空成就如来の働きが実現されるこ
とを意味する。
このように五頌にまとめられた「百字偈」は理趣経の教えを詩の形にしてその真髄を端的に
訴えようとしている。理趣経の究極の精神は、毘盧遮那の勝れた五部の世界をいかにしてす
べての人に与えるかの教えを端的に示し、締めくくっています。             
理趣経の説く、煩悩即菩提、染浄不二の教理に基ずき、大乗としての真言行者が密教の行を
実践することによって得られる成仏の悟境にほかならない。いわゆるこれが五秘密の深い心
と解する金剛薩埵と慾・触・愛・慢の四明妃菩薩の五秘密曼荼羅であり五秘密思想である。 
 また理趣経は毘盧遮那如来が中心になって説きますが、要するに金剛薩埵の悟りの境地の
開示ということが目的です。そのため初段は金剛薩埵の悟りの内容を「十七の清浄句」によ
り説明し、第十段までは衆生に般若の教説を説き、第十一段で如来と衆生の本質的平等を示
し、それを基に第十二段に加持を説き、衆生が如来の働きに転じる真の求道者の道を示す。
第十三段から第十五段の教説も同様である。第十六段は求道者の体得する般若の教えがその
まま一切如来の世界にある事を示す。いわゆる五部具会は金剛頂タントラを典拠とする。第
十七段に至って始めて利他教化と言う向下の道を歩むことが最も重要であること(金剛法性
の教え)が説き示される。最後の十七段では五秘密を中心として金剛薩埵の悟りをまとめて
説くと言う構成になっています。この章は弘法大師の理趣経開題の中では「五種秘密三摩地
章」となっています。五種の秘密がここで説かれると言う事であり、五秘密とは五人の菩薩
の悟りの境地を表しています。
参考文献「秘密経典理趣経」八田幸雄博士著、「理趣経」松長有慶博士著 の文献を参考。

理趣経「百字偈」・空海御影

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P-83 五秘密曼荼羅(煩悩即菩提)宗叡請来本

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