大宇宙の森羅万象と人間を分かたず、物質と精神を乖離させることのない秘密の教えが、真
言密教であり、我々が密教を知ろうとするとき、忘れてならないのは、あらゆる事象を内に
取り込み、外法の神をも包含しつつ、現象世界を超えた智慧によって全てを統合する。
偉大なる智の力である。我々人間の言葉や概念による物事の認識には限界があり、論理的な
認識や合理的証明で把握しえない世界であることに早く気ずくべきです。しかし我々の思
考・知の視点でほとんどの世界・対象をとらえているのが現状です。この視点とはまつたく
異なる智の視座に立つとき論理的理性的の把握しえなかった、宇宙の世界の本質・真理へ迫
る事が出来ると思います。この曼荼羅は空海の声字(隨縁)即実相(法爾)の供養観を表現
【五大に皆響き有り、十界に言語を具す、六塵悉く文字在り、法身は是実相成】
【瑠璃色と三弁宝珠について】
曼荼羅の聖なる空間は虚空で、瑠璃色でなくてはならない。瑠璃色とは衆色を具足した意
で、他の色に勝るとされ魔障を取り除き浄菩提心や慈悲の心を芽生えさせる色である。又瑠
璃色地に金色で、三弁宝珠が描かれています。宝珠は、真陀摩尼(チンターマニ)と言い印度
仏教における「何でも欲しいものを出現させ与える」と言う功能を持つもので、舎利が如意
宝珠に変ずることは印度仏教以来の通念であり、密教では過去久遠の仏舎利が変じて如意宝
珠になったとされています。三昧耶形の三弁宝珠とは、三つの宝珠が集まった形で、宝生如
来の三昧耶形で、虚空蔵菩薩と同体とされる。伝統的な教理学では、この三つの宝珠は、仏
部・蓮華部・金剛部の三部、身口意の三密などを表す。金剛頂経では一切の虚空界が毘盧遮
那の心に入り、一切の世間界に遍満するほどの金剛宝珠となって顕現するとされる。真言宗
においては空海の御遺告において如意宝珠の果たす役割が、五穀豊穣ならしめ衆生利益する
と言う護国的修法(御七日御修法)「みしほ」と呼ばれていて、現在も1200年継続されてお
ります。胎蔵、金剛界の両部によって修法され、いずれも宝生如来の法と捉え、種子・三昧
耶形・印等も金剛界の宝生如来の修法と同様に行じられる。修法に際しては檀上に仏舎利を
置き、宝生如来の三昧耶形(三弁宝珠)と仏舎利や室生山の三宝が一体なることを観想する、
胎蔵法においても同じ所作で臨む、胎蔵法においては金剛界法を果曼荼羅、胎蔵法は、因曼
茶羅と扱う視点から宝菩薩を本尊として修法する。金剛界の宝生如来は、悟りを開いたのち
の姿であり、その前身は胎蔵の宝菩薩であり、虚空蔵菩薩と同体とされる。しかも宝生如来
=宝菩薩の本体は如意宝珠であり、これは仏舎利と同体であるとされる。又釈迦滅後の衆生
済度のために、浄土往生の功徳を示す宝珠の展開もみせている。このようにさまざまに三弁
宝珠が真言密教では最重視されたからに他ならない。
【大日如来について】
宇宙の森羅万象はすべて大日如来の徳のあらわれであり、一切の諸仏、諸菩薩、諸天の徳も
この如来の徳に他ならないと言うのが密教の基本的考え方であり、これを図示したのが胎
蔵、金剛界の両部の曼荼羅である。宇宙の真理の象徴としての絶対的存在を王者の姿に見立
てて表現、坐像としてあらわされるのは常に宇宙の中央に位置する絶対的存在であることを
意味しているからで、金胎二種の大日如来の形は印相を異にする以外はまったく同形で、胎
蔵の大日如来は、法界定印を結び、金剛界の大日如来は、智拳印を結んでいる。定印は坐禅
や 瞑想に最も好んで用いられ、密教の実践的な面(事相)を示す。智拳印は最高の悟りの境
地を象徴するものであるといい、密教の知的な面(教相)を示している。
【四波羅蜜菩薩と四金剛女について】
弘法大師空海は、「即身成仏義」の中で、加持のことを次のように説く、
「仏日の影衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水よく仏日を感ずるを持と名ずく」
般若の教えは、究極には如来と衆生とは本来別なく、平等一如を体することにあつた。如来
の心が衆生の心に生き、衆生の心は如来の心となって生きることを示す。如来と衆生の平等
から一歩進めて、衆生そのものが如来、我そのものが大日となり、われわれの行動はすべて
大日如来の働きとなっている。大日如来が一切有情の加持する般若理趣を説く、一切衆生は
本来如来の心を秘めている(如来蔵)から加持せられるとき、一切衆生はそのまま大日如来
となる。如来としての働きは、一切衆生は、如来蔵と金剛蔵と妙法蔵と羯磨蔵を秘めてい
る。般若の教えを体得すれば、秘蔵の蔵は開かれて四部、四仏、四智の主体となり、大日如
来の働きそのものとなる。四種蔵性は大日如来(法界体成智)の四徳、金剛部(大円鏡
智)、宝部(平等性智)、法部(妙観察智)羯磨部(成所作智)の四智を示す、これの統合
が、大日の世界の五部であり、五智である。
欲・触・愛・慢の四金剛女が金剛薩埵を囲饒する五秘密思想で、般若と方便の合一した大安
楽に住する金剛薩埵の境地を、男女交接の快楽である妙適をもつて表し、さらにその境地に
至る過程を愛欲を熱望すること(欲)接触すること(触)愛念すること(愛)愛欲を自在に
なしたことへの(慢)の四段階に分け、象徴化する思想で、ここに言う大楽金剛薩埵の境地
とは、理趣経の説く、煩悩即菩提、染浄不二の教理に基づき、大乗菩薩としての真言行者が
密教の行を実践することによって得られる成仏の悟境に他ならない。
【不動尊について】
不動明王の明は明呪のことでもある。明呪とは真実の世界をもたらす言葉で、真言とも言
う。密教では真言を唱えることによる効力は絶大で、種々の祈願が成就すると言う信仰があ
る。その力の最も絶大なるものに対して明王と言う。密教特有の尊像で大日如来の一つの表
現である。明王は如来の命を受けて一切の魔障、すなわち反仏教的な衆生を調伏するために
現れる。明王を代表するのが不動尊であり、「お不動さん」の愛称で我々に、もっとも親し
まれている明王である。大日如来は、崇高な仏陀である。そこで人間に親しみやすい菩薩の
姿となり、般若菩薩としてあらわれ我々を強化する。しかしなお、煩悩にとらわれて迷う衆
生を救う為に奴僕の身となって、働き、かつ屈伏させても救済しようと、念怒の不動尊の身
に変じて現れる。この考えを三種輪身と言い如来を自性輪身(本体)、菩薩を正法輪身(説法
する姿)、明王を教令輪身(如来の教えを実行する姿)という。すなわち、不動尊は、大日如
来の教令輪身と言える。日本に最初に不動尊を請来したのは弘法大師空海である。
【地蔵菩薩について】
釈迦如来が没してから五十六億七千万年のちの弥勒仏の出現まで、人間世界を含むこの娑婆
世界は如来のいない時代である。その間に地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道を輪
廻して苦しむ我々衆生を教化し救済する誓いを立て実行している菩薩が、地蔵菩薩である。
地蔵菩薩はあらゆる場所に身を変じて現れ、地獄に落ちた衆生も救済する。衆生済度、救う
事を容易にするため人々に親しみやすい声聞形(釈迦在世頃の弟子の姿)すなわち、僧形とな
って現れその化身の姿で信奉されている。菩薩でありながら地蔵は僧形に描かれる。図像は
半跏像で左手に宝珠を持ち、右手に錫杖を握っている。錫杖を持つ像容は、六道をめぐり衆
生を救う行脚の姿で平安中期以降の地蔵菩薩の一般的な姿で宝珠と錫杖を持つ半跏の地蔵を
後世、延命地蔵尊とよばれる。十王信仰では地蔵菩薩は閻魔王の本地仏であり多くの仏尊の
中で地蔵菩薩だけが、地獄まで行き衆生を救う事が出来るとされております。
【五輪塔について】
五輪塔とは・・・五輪塔の形は仏教で説く万物の構成要素である地・水・火・風・空の五大
を形どったもので真言密教の中から生まれたものとされ、それは人間も死ねば、森羅万象
(宇宙に存在するすべてのもの)、大日如来とおなじ、地・水・火・風・空の五大に帰一され
るべきものと言う考え方によるものと言われています。この考え方は真言宗の中興の祖と言
われた覚鑁上人で、高野山金剛峯寺の座主にまでなった覚鑁上人ですが、元は高野聖だった
事が、思想と行動に大きな影響を与えたと言われています。五輪塔に死後の即身成仏の意見
を込めて五輪塔が生まれる原理・理論となった「五輪九字明秘密釈」を伝え仏力・法力によ
って地獄の苦を脱する事を破地獄といい、三本の破地獄儀軌がありますが、覚鑁が使用した
のは、三種悉地軌で(阿・鑁・藍・哈・欠)を五根・五蘊・五行・五方へ配当しています。こ
の自身成仏図が、五輪塔の原型になったと言われています。五輪塔とは密教の即身成仏を完
成した姿で、三密(身密・口密・意密)を実践している姿であり、日本人のお墓の意味、考え
方、建墓の仕方、供養など五輪塔と言うお墓を通じて高野聖達が全国に広め、これが、お墓
の基準となったと考えられます。五輪塔婆とは・・・密教哲理から観れば、宇宙法界五大所
成でその生物たると無生物たるとを問わず、在りとし在るものは皆悉く五大ならざるはな
く、その五大の標識にこの梵字(きゃ・か・ら・ば・あ)が使われます。五大を形で表現すれ
ば五輪となり、宇宙法界は五輪の大塔とみて五大を我が体の上に観想せしめ五大と五臓との
交渉に依って大日経秘密曼荼羅品の初めに説かれる入我我入(さとばん)の行法に五輪厳身の
観想(宇宙観・通観)としてこの梵字が順・逆と廻転、即身を宇宙に拡大させます。五大は悉
く如来の三昧耶身とり五輪は法界身となって五輪の意味ものちに転化し一切功徳を円満具足
していることを示唆してこの五輪法界身を五輪法界塔、一般に用いられる五輪塔婆は法界塔
の標識でそのままが法界身とります。密教の世界観としては五大に識を加えて六大とし、そ
の六大が密教の宗体です。
【空海の理趣経観】 般若理趣経では、思唯・読誦・作意するならば重罪を除き、無上の悟
りを開く事が出来ると繰り返し説かれている。空海はこの様な利益に基ずき追善供養の場面
において本経を重視したようである。般若理趣経を追善滅罪に用いる事は今の真言宗と同様
であるが、その実践は、書写や講演が中心であつた用ですが、現行の真言宗では、読誦が中
心となっている。実相般若経答釈に次のように言及されている.「これが大楽金剛の三昧で
ある。修行者は毎日この三昧の秘観によって、この経を受持し読誦するならば必ずこの尊の
三昧を獲得できる」と記されています。
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