大宇宙の森羅万象と人間を分かたず、物質と精神を乖離させることのない秘密の教え―。
我々が密教を知ろうとするとき、忘れてならないのは、あらゆる事象を内に取り込み、外法
の神をも包含しつつ、現象世界を超えた智慧によって全てを統合させようとした、偉大なる
「智の力」であろう。たとえば空海がそうしたように。
【瑠璃色と三弁宝珠について】 曼荼羅の聖なる空間は虚空で瑠璃色でなくてはならない。
瑠璃色とは衆色を具足した意で、他の色に勝るとされ魔障を取り除き浄菩提心や慈悲の心を
芽生えさせる色である。 又瑠璃色地色に金色で、三弁宝珠が地模様として描かれていま
す。宝珠は、真陀摩尼(チンターマニ)と言い印度仏教における「何でも欲しいものを出現さ
せ与える」と言う功能を持つもので、舎利が如意宝珠に変ずることは印度仏教以来の通念で
あり、密教では過去久遠の仏舎利が変じて如意宝珠になったとされています。
真言密教では空海の御遺告において如意宝珠の果たす役割が、五穀豊穣ならしめ衆生利益す
ると言う 護国的修法(御七日御修法)「みしほ」と言われて現在も1200年東寺にて続けら
れております。 胎蔵、金剛界の両部によって修法され、いずれも宝生如来の法と捉え、
種子・三昧耶形・印等も金剛界の宝生如来の修法と同様に行じられる。修法に際しては檀上
に仏舎利(恵果付嘱・空海請来の東寺の仏舎利)を置き、宝生如来の三昧耶形(三弁宝珠)と
仏舎利や室生山の三宝が一体なることを観想する、胎蔵法においても同じ所作で臨む、胎蔵
法においては金剛界法を果曼荼羅、胎蔵法は、因曼茶羅と扱う視点から宝菩薩を本尊として
修法する。金剛界の宝生如来は、悟りを開いたのちの姿であり、その前身は胎蔵の宝菩薩で
あり、虚空蔵菩薩と同体とされる。「如意宝珠とは即ち釈迦の分身舎利である」しかもそれ
は「自然道理の」とされる事からすれば、応身の釈迦の舎利ではなく、法身(大日如来)の
舎利と言うことになろう。「法身大日如来=変化法身釈迦の真身(生身)」と言うことであ
る。又釈迦滅後の衆生済度のために、浄土往生の功徳を示す宝珠の展開もみせている。この
様に真言密教において如意宝珠は「飲食・衣服・音楽・七宝などの人の求める物を、求める
に従がってだすもの」とされる。さまざまな形に於いて三弁宝珠が真言密教で最重視された
からに他ならない。
【大日如来について】 宇宙の森羅万象はすべて大日如来の徳のあらわれであり、一切の諸
仏、諸菩薩、諸天の徳もこの如来の徳に他ならないと言うのが密教の基本的考え方であり、
これを図示したのが胎蔵、金剛界の両部の曼荼羅である。宇宙の真理の象徴としての絶対的
存在を王者の姿に見立てて表現、坐像としてあらわされるのは常に宇宙の中央に位置する絶
対的存在であることを意味しているからで、金胎二種の大日如来の形は印相を異にする以外
はまったく同形で、胎蔵の大日如来は、法界定印を結び、金剛界の大日如来は、智拳印を結
んでいる。定印は坐禅や 瞑想に最も好んで用いられ、密教の実践的な面(事相)を示す。智
拳印は最高の悟りの境地を象徴するものであるといい、密教の知的な面(教相)を示してい
る。
【四波羅蜜菩薩と四金剛女について】 弘法大師空海は「即身成仏義」の中で、加持のこ
とを次のように説く、「仏日の影衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水よく仏日を感
ずるを持と名ずく」
般若の教えは、究極には如来と衆生とは本来別なく、平等一如を体することにあつた。如来
の心が衆生の心に生き、衆生の心は如来の心となって生きることを示す。如来と衆生の平等
から一歩進めて、衆生そのものが如来、我そのものが大日となり、われわれの行動はすべて
大日如来の働きとなっている。大日如来が一切有情の加持する般若理趣を説く、一切衆生は
本来如来の心を秘めている(如来蔵)から加持せられるとき、一切衆生はそのまま大日如来
となる。如来としての働きは、一切衆生は、如来蔵と金剛蔵と妙法蔵と羯磨蔵を秘めてい
る。般若の教えを体得すれば、秘蔵の蔵は開かれて四部、四仏、四智の主体となり、大日如
来の働きそのものとなる。四種蔵性は大日如来(法界体成智)の四徳、金剛部(大円鏡
智)、宝部(平等性智)、法部(妙観察智)羯磨部(成所作智)の四智を示す、これの統合
が、大日の世界の五部であり、五智である。
欲・触・愛・慢の四金剛女が金剛薩埵を囲饒する五秘密思想で、般若と方便の合一した大安
楽に住する金剛薩埵の境地を、男女交接の快楽である 妙適 をもつて表し、さらにその境地に
至る過程を愛欲を熱望すること、接触すること、愛念すること、愛欲を自在になしたこ
とへの慢の四段階【欲・触・愛・慢】に分け、象徴化する思想で、ここに言う大楽金剛薩埵の
境地とは、理趣経の説く、煩悩即菩提、染浄不二の教理に基づき、大乗菩薩としての真言行者
が密教の行を実践することによつて得られる成仏の悟境に他ならない。
【不動尊について】 不動明王の明は明呪のことでもある。明呪とは真実の世界をもたらす
言葉で、「真言」とも言う。密教では真言を唱えることによる効力は絶大で、種々の祈願が
成就すると言う信仰がある。その力の最も絶大なるものに対して明王と言う。密教特有の尊
像で大日如来の一つの表現である。明王は如来の命を受けて一切の魔障、すなわち反仏教的
な衆生を調伏するために現れる。明王を代表するのが不動尊であり、「お不動さん」の愛称
で我々に、もっとも親しまれている明王である。大日如来は、崇高な仏陀である。そこで人
間に親しみやすい菩薩の姿となり、般若菩薩としてあらわれ我々を強化する。しかしなお
、煩悩にとらわれて迷う衆生を救う為に奴僕の身となって働き、かつ屈伏させても救済しよう
と、念怒の不動尊の身に変じて現れる。この考えを三種輪身と言い如来を自性輪身(本体)、
菩薩を正法輪身(説法する姿)、明王を教令輪身(如来の教えを実行する姿)という。すなわ
ち、不動尊は、大日如来の教令輪身と言える。日本に最初に不動尊を請来したのは弘法大師
空海である。お大師様は不動明王ではなく不動尊と言われた。
【大安楽普賢延命金剛薩埵】 空海の真実経文句は理趣経の全体にわたって考察した唯一の
書であり、無論、不空の理趣釈によりながら、大師独自の解釈を織り込んでいます。この尊
像は、両部曼荼羅の胎蔵曼荼羅の編知院の南側に描かれており、一面二十臂で、十六大菩薩
の十六尊と四摂菩薩の四尊を三昧耶形であらわした恵果阿闍梨の意楽像(考案像)で、恵果
阿闍梨は、「金胎不二思想」ならびに、理趣経の「十六大菩薩生」を重要視され考案された
尊像で、大師は「大安楽普賢延命金剛薩埵位」と記しています。胎蔵曼荼羅では大安楽不空
金剛三昧真実菩薩と呼ばれており、一般には普賢延命菩薩と同体とされていますが、厳密に
は異にします。 不空の理趣釈では、理趣経曼荼羅の中尊は金剛薩埵であり、欲・触・愛・
慢の五秘密思想であり、五秘密の世界の体得は金剛界五仏の体得であり、それが十七清浄の
大楽の世界の体得であることを力説し、金剛頂経の解釈をもつて説明されている金剛薩埵曼
荼羅なのです。おそらく大師の理趣経観において恵果阿闍梨の「金胎不二思想」並びに
「十六大菩薩生」を重要視され金剛薩埵像よりもこの尊像(大安楽普賢延命金剛薩埵、)
が、よりふさわしいと考えられました。それは、理趣経の祖典となる「降三世軌」「悪趣清
浄軌」の精神、いわゆる八幅輪構想の基に描かれた説会曼荼羅の般若思想は、不空訳の理趣
釈では、見られない為、理趣経の序説に記述される大毘盧遮那如来(法界定印)をはじめ、
八大菩薩のことを深く考察されたと思われます。それ故に空海の真実経文句においては「十
六大菩薩生」の獲得こそが最重要視する事であるとの考えから、真実経文句において、改め
記されました。あまりなじみのないこの尊像は二十臂で、十六大菩薩と弱・吽・鎫・斛(四
摂菩薩)のみを三昧耶形であらわした尊像であります。恵果阿闍梨は、特に「金胎不二思
想」を重要視され、八大菩薩を三昧耶形であらわした、この尊像を考案されたものと思われ
ます。この様な理由で、真実経文句において、大安楽普賢延命金剛薩埵と記された重要なる
尊像で、この尊像が、理趣経のすべを表すと考えられたようです。又不空訳の理趣釈では
八大菩薩を前・後・右・左・東南・西南・西北・東北で示していますが、大師は、陰陽五行
思想の陰陽説で、森羅万象の状態を表す概念の震・兌・離・坎・巽・坤・乾・艮と改めてお
られます。
【五輪塔】 五輪塔とは・・・五輪塔の形は仏教で説く万物の構成要素である地・水・火・
風・空の五大を形どったもので真言密教の中から生まれたものとされ、それは人間も死ね
ば、森羅万象(宇宙に存在するすべてのもの)、大日如来とおなじ、地・水・火・風・空の五
大に帰一されるべきものと言う考え方によるものと言われています。この考え方は真言宗の
中興の祖と言われた覚鑁上人で、高野山金剛峯寺の座主にまでなった覚鑁上人ですが、元は
高野聖だった事が、思想と行動に大きな影響を与えたと言われています。五輪塔に死後の即
身成仏の意見を込めて五輪塔が生まれる原理・理論となった「五輪九字明秘密釈」を伝えま
した。又仏力・法力によって地獄の苦を脱する事を破地獄といい、三本の破地獄儀軌があり
ますが、覚鑁が使用したのは、三種悉地軌で(阿・鑁・藍・哈・欠)を五根・五蘊・五行・五
方へ配当しています。この「自身成仏図」が、五輪塔の原型になったと言われています。五
輪塔とは密教の即身成仏を完成した姿で、三密(身密・口密・意密)を実践している姿であ
り、日本人のお墓の意味、考え方、建墓の仕方、供養など五輪塔と言うお墓を通じて高野聖
達が全国に広め、これが、お墓の基準となったと考えられます。五輪塔婆とは・・・密教哲
理から観れば、宇宙法界五大所成でその生物たると無生物たるとを問わず、在りとし在るも
のは皆悉く五大ならざるなく、その五大の標識にこの梵字(きゃ・か・ら・ば・あ)が使われ
ます。五大を形で表現すれば五輪となり、宇宙法界は五輪の大塔とみて五大を我が体の上に
観想せしめ五大と五臓との交渉に依って大日経秘密曼荼羅品の初めに説かれる入我我入(さ
とばん)の行法に五輪厳身の観想(宇宙観・通観)としてこの梵字が順・逆と廻転、即身を宇
宙に拡大させます。五大は悉く如来の三昧耶身となり五輪は法界身となって五輪の意味もの
ちに転化し一切功徳を円満具足していることを示唆してこの五輪法界身を五輪法界塔、一般
に用いられる五輪塔婆は法界塔の標識でそのままが法界身とります。密教の世界観としては
五大に識を加えて六大とし、その六大が密教の宗体である。
【空海の理趣経観】 般若理趣経では、思惟・読誦・作意するならば重罪を除き、無上の悟
りを開く事が出来ると繰り返し説かれている。空海はこの様な利益に基ずき追善供養の場面
において本経を重視したようである。般若理趣経を追善滅罪に用いる事は今の真言宗と同様
であるが、その実践は、書写や講演が中心であつたようですが、現行の真言宗では読誦が中
心となっている。実相般若経答釈に次のように言及されている。「これが大楽金剛の三昧で
ある。修行者は毎日この三密の秘観によって、この経を受持し読誦するならば必ずこの尊の
三昧を獲得できる」ときされています。
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