れを漢字に音訳すると、阿縛盧枳低湿伐羅と書かれます。旧訳では光世音・観世音・観音・
観世自在などと訳し新訳では観自在と訳しています。観音の功徳を説く経典は、観音を阿弥
陀如来の脇侍菩薩とする無量寿経、観音が補陀落山に住むと記す華厳経はじめ数多いが、も
つとも有名であり、しかも成立年代がもつとも古いと思われるのは、観音経の名で呼ばれる
法華経・観世音菩薩普門品です。法華経は最初から現在の完成した形ではなく、観音・普
賢・陀羅尼・極楽などさまざまの仏教信仰を法華経信仰に関係図けて統一しようとする意図
の見られる終わりのいくつかの品は比較的後になつて付け加えられたと推定される。しかし
普門品は、観音の性格や功徳をかなり具体的に詳しく記していますから、普門品が成立した
ころには既に観音の信仰は印度の人々の間に相当広まつていたと考えられます。こうしたこ
とから印度で観音菩薩が形成された時期は、西暦紀元をそれほど下がらないころ、紀元一世
紀末までであつたとする説が有力のようです。
普門品は観音が方便力をもつて様々に姿を変えて衆生を導き、これを念ずるならば、水火刀
杖怨賊はじめ、様々の危難をただちに逃れ、福徳を得ることが出来ると説いています。観音
の利益の特色は広範具体的でしかも速やかな現世利益にあります。更に法華経の後で成立し
た請観音経や陀羅尼呪経などの経典は病を治すなどの観音の現世利益を益々強調し、そのた
めの観音の神呪を色々と説く様になります。
初期の観音の形像は、いわゆる聖観音ですが、6~7世紀以後、様々に変化した像容の変化観
音が次々と形成されます。変化観音は、十一面・千手千眼・不空羂索・馬頭・如意輪・准阺
といつた名称からも分かるように多面多臂、すなわち多くの顔や目や手足などをもつて、そ
の性格や利益を、具体的に強調して示そうとするものです。こうした異様な姿の変化観音
は、ヒンドゥー教の影響で印度仏教が次第に密教化していく過程で、多面多臂像の多い印度
の神々の表現方法を取り入れて生み出されたと思われます。こうして多様な変化観音が観音
像の主流を占める様になり、中国でも日本でも観音は、密教信仰発達の上で重要な役割を果
たします。
普門品には観音を特定の如来や浄土と結び付ける様な記述はありませんが、阿弥陀信仰関係
の諸経典、ことに無量寿経・観無量寿経などは阿弥陀如来の極楽浄土に住む無数の菩薩の中
で、観音と勢至の両菩薩が、弥陀の脇侍として最高の地位にあると説いています。人間最大
の苦悩恐怖である死について、現世来世を通して安らぎを与えると言う阿弥陀如来の脇侍に
は自在の神力で衆生の多様な苦悩を救う観音が相応しいと考えられた。観音は、地獄・餓
鬼・畜生の悪道に苦しむ衆生を救うと言う頌句が有りますが、浄土教関係経典の出現に依つ
て、観音の来世救済の性格は極めて明瞭になりました。観音と勢至は慈悲と智慧と言う阿弥
陀の二つの徳をそれぞれ象徴人格化したものとされ、阿弥陀を中心に観音・勢至を左右に配
する阿弥陀三尊像が作られ後に現れる阿弥陀来迎図でも、観音は、蓮台を捧げ、合掌する勢
至と共に聖衆の先頭に立ち臨終の人を浄土に導こうとしています。この様に浄土関係の経典
は観音の住所を極楽浄土としますがこれに対し観音は、補陀落山(光明山)に住んでいると
説く経典もあります。華厳経入法界品には求道の旅をつずける善財童子と言う若者が、補怛
洛迦という海に面した美しい山で生身の観音にめぐり会い、大慈悲の説法を聞くと言う一説
があります。七世紀前半に印度を訪れた玄奘三蔵はマラヤ山の東に、ポータカラ(布但洛
迦)という山がありここが観音の霊場で叉セイロンへの海路に近い事を記しています。そこ
で現在では、補陀洛山の名の起こりとなるポータカラとは、印度南端のコモリン岬に近いマ
ラヤ山の東の丘に実在した観音の霊場であつたろうと推定されています。
天台六観音 天台大師(智顗)摩訶止観、・・・六道抜苦、(六観音)
1、 聖観音~地獄道
2、 千手~餓鬼道
3、 馬頭~畜生道
4、 十一面~修羅道
5、 不空羂索~人道
6、 如意輪~天道
真言六観音 仁海 小野流・・・六道抜苦、(六観音)
1、 聖観音~地獄道・大慈観音
2、 千手~餓鬼道・大悲観音
3、 馬頭~畜生道・師子無畏観音
4、 十一面~阿修羅道・大光普照観音
5、 准阺~人道・天人丈夫観音
6、 如意輪~天道・大梵深遠観音
参考文献 菩薩 仏教学入門 速水 侑 東京美術、平成2年7月31日、第三版
制作仏画 大進美術株式会社