弘法大師空海が入唐後、梵語(悉曇)を学ばんとまず師と仰いだ人物が醴泉寺の般若三蔵と
知られている。本経は単に 摂真実経 或いは 真実経 と呼ばれている。翻訳時期は781
~810と推定される。摂真実経は金剛頂経 初会初品の訳であり、三巻九品よりなるこの中
には中観・唯識の思想のみならず法華経の仏知見の教義、華厳経の浄菩提心並びに融通無礙
の教義、涅槃経の仏性などの教義が織り込まれつつ教理の骨格を形成しそれを曼荼羅的展開
に依つて修道を明らかにしようとしている。金剛智や不空の金剛頂経の両訳本とは違い二本
を総合し折衷して不空三蔵の二巻、(金剛頂経)と(蓮華部心念誦儀軌)の儀則を加えて洗
練したのが 本経 摂真実経であり。今日現在、真言宗各派の金剛界法の次第は空海の金剛
界黄紙次第に基ずいており、この次第の本軌は金剛頂蓮華部心念誦儀軌であり、又、金剛頂
一切如来真実摂大乗現証大教王経・二巻で、 摂真実経は同一の系統のものといえる。序品
第一には大毘盧遮那如来が妙高山頂(須弥山)三十三天の帝釈宮の中の摩訶摩尼最勝楼閣に
て説法し光明を四方の世界に放ちこの経を説くことを告げて此の功徳などを述べんと瑞相を
現じた事が説かれる。 大毘盧遮那如来は、
・胸臆の中より 青色の「光」を放ちて 東方の 無量の世界を照らす。
・右肩の上より 金色の「光」を放ちて 南方の 無量の世界を照らす。
・背中の上より 紅蓮華色の「光」を放ちて 西方の 無量の世界を照らす。
・左の肩より 五色の「光」を放ちて 北方の 無量の世界を照らす。
・頂上より 白色の「光」を放ちて 十方無量の 世界の一切の仏刹を照らす。
前に放つ所の四種の光明、 四方より来りて此の「光」の中に入り虚空に遍満する。微塵沙
数の諸諸の 仏・菩薩 、無辺の諸天衆、この光明を見て未曾有也と感じて 、各各のこの
念を三策、何の因縁をもつて、この瑞相を現ずるのかと。大毘盧遮那如来、大衆の心の疑う
所を観察して、普く一切大会の諸諸の菩薩摩訶薩に告げて曰く「諦らかに聴き」、「諦らか
に聴け」善く思いこれを念ぜよ。我今「摩訶瑜伽諸仏秘密心地法門 諸仏境界摂真実経」を
演説して永らく汝等が所有の疑網を断ぜん。ただこの法を修して仏道を成ずることを得。
この法は善能く一切の菩薩摩訶薩を引導して菩提樹に坐せしむ。
この法は即ちこれ諸仏の根本なり。
この法は能く一切の悪行を滅する。
この法は能く一切の所願を満たす。
この法は能く一切衆生の生・老・病・死・憂・悲の苦海をかつす。
この法は能く生死の曠野を過ぐ。
この法は能く生死の波動を静む。
この法は即ち此れ諸仏の種子なり。
この法は即ち此れ大法幢を持つ。
この法は即ち此れ大獅子の坐なり。
この法は即ち此れ無上法輪なり。
この法は即ち此れ能く生死長夜の黒闇を照らす大智慧の炬なり。
この法は即ち此れ大法螺を吹く。
この法は即ち此れ大法鼓を打つ。
この法は即ち此れ大獅子吼なり。能く外道を砕く。
我今己に此の深妙の法を説けり。
三世の諸仏の心中の心なり、一切の仏法を此の経に摂入し一切の仏法は此の経より出で、こ
の法を名図けて「一切如来真実境界大乗瑜伽微妙対法」と為す。
これは此れ一切如来の心 金剛真言最勝秘密也と。
(金剛界五智如来真言)
大日如来 オン バザラ ダト バン
阿閦如来 オン アキシュビヤ ウン
宝生如来 オン アラタンナウ サンバンバ タラク
無量寿如来 オン ロケイ ジンバラ アランジャ キリク
不空成就如来 オン アボキャ シツデイ アク
(胎蔵五仏真言)
大日如来 ナウマク サンマンダ ボダナン アビラウンケン
宝幢如来 ナウマク サンマンダ ボダナン ランラク ソワカ
開敷華王如来 ナウマク サンマンダ ボダナン バンバク ソワカ
無量寿如来 ナウマク サンマンダ ボダナン サンサク ソワカ
天鼓雷音如来 ナウマク サンマンダ ボダナン カンカク ソワカ
摂真実経に五色が「光」として説かれる。五色界道は十方世界を照輝する大毘盧遮那如来の
自内証の輝きであり、方形に描かれた五色の「光」は大地を照輝し、やがて大毘盧遮那如来
の白色月輪の輝き【明鏡】の中に吸収される。その後に微塵沙数の諸仏、諸菩薩、諸天衆が
無辺に虚空に遍満する。即ち五色の「光」が変じて諸尊となつて世界を照輝する。曼荼羅の
聖なる空間は虚空で金胎共に青色でなくてはならない。青色とは衆色を具足した意で、他の
色に勝るとされる。魔障を取り除き浄菩提心や慈悲の心を芽生えさせる青色である。金胎蓮
台の色は金剛界は大智の曼荼羅故に質多心の月輪(チツタ心)をもつて体とする、月輪は智
光ゆえに此の色白色で、白蓮台也と。胎蔵は大悲の曼荼羅衆生の八分の心臓(フリダヤ)八
葉蓮華故に汗栗多心蓮華をもつて体とする、故に此の色赤色で赤蓮台也と。また五色界道内
の空間と五輪塔の阿字には本金箔を押す。仏の身体の表皮が輝くのではなく、毘盧遮那如来
の輝きが外に放出されていることを示しています。金色は常住不変の色であり、経典に説か
れている本金の色は色彩ではなく、輝きとして捉える。一方の金剛界月輪や蓮台は銀色で、
銀色は、大和言葉では白金(しろがね)と呼ばれ、白色を強調しています。
(図1)毘盧遮那如来の放つ「光」で最初に思い浮かぶのが太陽の光です。白色・透明と感
じる「光」ですが実は無数の色で出来ており、プリズムで、太陽の光を透して見ると虹色の
ように無数の色に分解することが分かります。これは「光」の中には色々な色が含まれると
言うこと、逆に言うと色々な色が集まつて、白い「光」を作つている事を示しています。
色と「光」の関係ですが、色の正体は「光」であり、1666年にニュートンが発見、今か
ら345年前の事で、日本では江戸時代の徳川家綱の寛文の頃なのです。ニュートンは三角
のプリズムに光を透して分光し、この光の帯をスペクトルと名図け、日本では赤・橙・黄・
緑・青・藍・紫の七色に分類でき、虹色の語源にもなつています。マツクスウエルの電磁理
論から始まりアインシュタインの光量子仮説で、「光=電磁波」という結論が出ました。色
は光、光は電磁波というのが現代科学的に証明されている事実なのです。また、現代科学の
LED(発光ダイオード)は光の三原色のR/G/BのうちR(赤色)を1962年に二ツク・ホロ
ニアツクに依つて発明され、次にG(黄緑色)をジョージ・クラフオードが1972年に発
明、最後のB(青色)を赤崎勇・天野浩・中村修二氏達に依つて発明され、やつと三色の発
光ダイオードを用いることで、あらゆる色の表現が可能となつた訳で、まだ20数年前でし
かありません。
「光」は顕教では、菩薩の智慧や慈悲を象徴するものとして、また密教では、毘盧遮那如来
の属性を示すものとされた。古来より仏教に「光」は登場しており、具体的には太陽と結び
付ける事も多く、これは「光」のR/G/Bを加法混色すると白色になると言う事が原因の一つと思
われます。大日如来は、真言密教の教主と仰がれ、実に深い意味に説明せられております。
大日如来の梵語は摩訶毘盧遮那如来といい、摩訶は常にいう如く、大・多・勝の三義のある
中、特に大の義をもつて説明し毘盧遮那は光明遍照と翻訳するのでありますが、これを善無畏
三蔵は、大日経疏において「梵音の毘盧遮那は、是れ日の別名也」と言うて、ここに日と翻
訳せられたのであります。日とは太陽の日でありまして、太陽は昼間のみ照らし、夜は照ら
さず、また外部のみ照らし、その内部は照らさずと言いますが、毘盧遮那は遍一切處と言い
照らさざる所なく、その功徳、利益も到底太陽の日も及ばぬと言うので、ここに日の上に大
の字を加えて「大日如来」と申したと言うことであります。
(図2/3)我々がよく見かける色材の三原色はY/M/C、イエロー・マゼンタ・シアンの三色
であり、原理的には混色すると黒色になります。光の三原色は、R/G/B、レツド・グリーン・
ブルーの三色であり、混色すると白色になります。人間が色として判断できる範囲の電磁波
(可視光)は一版的に380~780ナノメートル)であり、可視光を超える範囲は人間の眼に
は見えない訳で、これは人間の眼の仕組みによります。人間の眼は光の強さを感じる組織と
色を感じる組織があり、このうち色を感じる組織はR/G/Bの三色に反応します依つて眼の組
織と同じ色を扱うことにより、色を再現することが可能になる。R/G/Bの加法混色は文字通
り、色を加えて混ぜ合わせる事を意味しています。また、色による電磁波の違いは波長の長
短と振幅の違いであり、波長が長いほど赤色に近ずき、短くなると紫色に近づく、また、振
幅が大きくなると明るくなり、小さくなるほど暗くなります。
「光」の中心の(白色)を毘盧遮那如来と考えますと、R/G/Bは、無量寿如来(赤色)、不空
成就如来(緑色)、阿閦如来(青色)、宝生如来(黄色)となり摂真実経記述はまさしく、
空海の声字(隨縁)即実相(法爾)の世界です。
毘盧遮那如来=「光」=白色であり、これは心月輪と同様に、我々人間の言葉や概念による
物事の認識には限界があり、近代科学的、論理的な認識や合理的証明では把握しえない世界
であることに早く気ずくべきです。しかし我々の思考(知)の視点でほとんどの世界(対
象)をとらえているのが現状です。摂真実経はこの視点とはまつたく異なる(智)の視座に
立つとき、論理的、理性的の把握しえなかつた、宇宙の世界の本質・真理へ迫ることが出来
ると思います。空海の声字実相義は我々に宇宙の真理や世界の本質を直接開示することので
きる(智)の視座を与えてくれている様に思います。
【五大に皆響有り、十界に言語を具す、六塵に悉く文字あり、法身は是実相也】
(図4)チベツト密教のニンマ派の賢人の死の教えを記述した埋蔵教に、バルド・トエ・ド
ルがあります。これはチベツト仏教の祖聖グル・パドマサムバブアに依つて、執筆されたと
伝承され、これには人の死後の有様が詳述されています。此の経典は7世紀頃、執筆後間も
なく埋蔵教としてセルデン湖畔のガムポダル山中に秘匿されたが、十四世紀に至つてチベツ
トの僧であり、霊感の具有者と言われたリクジン・カルマリンパ(第五転生者)に依つて発
掘されたと伝えられる。バルド・トエ・ドルの一つが1918年英国のエバンス・ヴェンツの
眼に止まり十年近くの歳月をかけて英訳し、1927年にオツクスフォード大学出版局が出版
これに、スイスの深層心理学者のC・Gユングが心理学的解説を付けた事から世界的に注目
されました。此の経典に説かれる人間の死後出現する「仏」と「色=光」を要約します。
毘盧遮那如来・虚空界自在母~
二身、(精滴弘播国)識蘊から出来ている紺青色の「光」を放つ
阿閦如来・仏眼母・眷属の地蔵菩薩・弥勒菩薩・金剛舞菩薩・金剛華菩薩~
六身、(東方妙喜国)色蘊から出来ている白色の「光」を放つ
宝生如来・我母・眷属の虚空蔵菩薩・普賢菩薩・金剛鬘菩薩・金剛香菩薩~
六身、(南方極妙国)受蘊から出来ている黄色の「光」を放つ
無量寿如来・白衣母・眷属の観自在菩薩・文殊師利菩薩・金剛歌菩薩・金剛燈菩薩~
六身、(西方安楽国)想蘊から出来ている赤色の「光」を放つ
不空成就如来・三昧耶多羅・眷属の金剛手菩薩・除蓋障菩薩・金剛香菩薩・金剛嬉菩薩~
六身、(北方業積浄土)行蘊からできている緑色の「光」を放つ
この様に順次出現する仏の「色=光」は毘盧遮那如来の五智の色であり、自内証の輝きの
色、すなわち「光」であります。
金胎理智不二、両部秘蔵曼荼羅(覚鑁聖人の臨終の本尊)や五色光明真言曼荼羅に描かれた
各種大日如来、真言や五輪塔図及び心月輪、五智如来の色彩や光の金箔押しの表現は光輝表
現と呼ばれ、声字実相義(隨縁・法爾)の世界観をしめしています。五色光明真言曼荼羅
は、金胎大日如来、光明真言、五色の光明を表現しています。
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