大楽金剛普賢延命金剛薩埵位 震・兌・離・坎・巽・坤・乾・艮
弘法大師空海(774~835)の時代に於いては、俗人にあつては、密教画の真精神や儀軌に依つ
て表現される仏・菩薩の妙相を描くに足りず、密教画の標準を示す為には、大師自ら筆をと
るより他になかつた訳で、当時代の事情よりしてやむを得ない必要からと仏画を描き、曼荼
羅を制作した。その図像・構図・配色等はもとより、主要なる印相・持物などに於いては大
師自ら筆を執つた事は論のないところである。大師自身のこうした方面の記録として「性霊
集」がもつとも正確なりと、言わなければならない。
性霊集第七に「十七尊理趣経曼荼羅制作」の記述有り、大師遣唐使として延暦23年(804)に
入唐し、福州に漂着して具に大師と共に苦難を喫した中納言藤原葛野麻呂が死去するや、大
師に遺物として紫綾の文服を贈られた。大師はその冥福を祈らんが為に、弘仁12年9月7
日(821)をもつて、その贈られた綾服を地となし、金銀を綵(さい)となして十七尊理趣経
曼荼羅を図し祀り、さらに大楽金剛不空真実三昧耶理趣経一巻を書写して法要を修した但し
これは「綾服為地、金銀為綵」とあるから十七尊曼荼羅の繍仏を制作されたものと思われる
両部曼荼羅の基本とされる金銀泥で描かれた神護寺伝来の高雄曼荼羅も同じく紫綾地であり
これらの表現技法は、平面の絵画において、光を放つているように見えるという視覚上の効
果を指すもので、便宜的に「光耀表現」と呼ばれこの時代には光耀表現が多様化し様々な装
飾性を求めていく過程で生まれた新たな技法であると考えられる。
それは「金」は眩しく光り輝くものとして用いられるのに対して「銀」は月の光のような奥
ゆかしい表現に適している。また、密教の金胎不二思想にも適したからではないかと考えら
れます。いずれにしましても、曼荼羅に描かれた各尊の自内証の輝きを「光」で表現する。
色彩ではなく「輝き」として捉える由縁である。仏画制作に於いて尊像に金箔を押すのも同
じ理由からです。高雄曼荼羅は金胎不二思想をもつて描かれており、金剛界は大智の曼荼
羅、故に質多心「チツタ心」の月輪心を以て体とする。月輪は智光、故に其色白で、銀色に
通じる。大和言葉では銀は白金(しろがね)と呼ばれ、白い金属、白色を強調します。大悲
胎蔵は大悲の曼荼羅、衆生の八分の心臓「フリダヤ」八葉蓮華、故に汗栗多心蓮華を以て体
とする。故に其色赤で、黄金(金)色に通じる。金は常住不変の色で、経典に説かれる本金
の金色は、色彩ではなく輝きとして捉えています。「諸仏境界摂真実経」三巻、般若三蔵訳
(781~810)に詳しく説かれる。
また本件の理趣経曼荼羅は十七尊構成で、中納言藤原葛野麻呂の冥福を祈る為に大師が制作
したものです。大師の理趣経の全体に渡つて考察した唯一の書に「真実経文句」があります
無論、不空の理趣釈に依りながら大師独自の解釈を織り込んでいます。まず、理趣経曼荼羅
の中尊、金剛薩埵位ですが、理趣釈(不空訳)では、欲触愛慢の五秘密であり、五秘密の世
界の体得は金剛界五仏の体得でありそれが十七清浄の大楽の世界の体得である事を力説して
います。金剛頂経の解釈をもつて説明されている金剛薩埵曼荼羅なのです。
しかし、金胎不二思想のもう一方の理趣経の祖典となる「降三世軌」や「悪趣清浄軌」の精
神、所謂八幅輪構想の基に描かれた説会曼荼羅の般若思想は見られません。理趣経の序説に
記述される大毘盧遮那如来(胎蔵の定印)を囲繞する金剛手・観自在・虚空蔵・金剛拳・文
殊師利・纔発心転法輪・虚空庫・墔一切摩菩薩の八大菩薩を、不空理趣釈では、十七尊を、
前・後・右・左・東南・西南・西北・東北で示しています。そこで、大師は中尊を大楽金剛
普賢延命金剛薩埵位と改め、また八大菩薩を震・兌・離・坎・巽・坤・乾・艮として改示し
ています。これは陰陽五行思想の陰陽説で、森羅万象の状態を表す概念です。
大師は唐へ渡るまでに、玄昉らによつて請来され書写も行なわれていた「大日経」は熟知し
ていたが、大師の時代的限定から「金剛頂」系経論が迄少なく「理趣経」及びその「釈」は
数少ない金剛頂系の経釈として重要視された事は、間違いないようです。 本件の本尊は
一般に普賢延命菩薩と同体とされていますが、普賢延命法の本尊では、鈴鈷の形式を像形の
内に固執しています(金剛薩埵像)、本件の本尊は大悲胎蔵生曼荼羅の遍智院の南端に描か
れる大安楽不空金剛三昧眞實菩薩で、鈴鈷を解消し論理的な整合性をもつて描かれた恵果阿
闍梨の意楽像(考案)で金剛界の十六大菩薩生と密教に教化引入を示す四摂菩薩の内証を三
昧耶で示した二十臂尊像であり、厳密には異にします。またこの遍智院に描かれたこの尊像
を裏付ける訳経はなく、恵果阿闍梨の意楽像なのです。
遍智院は,大悲胎蔵曼荼羅の中台八葉院の上部に位置し、この院は中台八葉院・持明院と共
に仏部に属し悟りの展開としての精進を目指す精進道を表しています。恵果阿闍梨の 十六
大菩薩生・(救済)と(密教教化引入)・四摂菩薩 のみを二十臂で示した本像を恵果阿闍
梨から直接大師は教えられていたのかも知れません。二十臂で、十六大菩薩生と、弱・吽・
鑁・斛(四摂)の身が表現された尊像で、非常に重要視されたに違いありません。依つて、
真実経文句に於いて大楽金剛普賢延命金剛薩埵位とされ、示したものと考えられます。
弘法大師教学に於いて「菩提心論」、「大日経硫」が重要でここでの主題である「十六大菩
薩生」が大師教学の前提となつている。大師、即身成仏義で十六生とは十六大菩薩生を指
す。これは十六生を大日経硫十地段の釋文の趣旨をもつてなされた。「秘蔵宝鑰」中の第十
住心の説段は菩提心論の三摩地段の全文を引用。また「實相般若経答釈」において十六生と
いうのは十六大菩薩生なり。菩提心論所説の金剛薩埵よりいまし金剛拳に至るまで、これ
也。 十六尊の三昧王等を現証す。大日如来の自証三摩地の全てがそれに帰摂すると述べて
います。十六大菩薩とは、外脱輪大曼荼羅の三十七位を展転流出する為の中心的存在であ
る。「十六大菩薩生」の「生」とは展転流出のことである。依つて大師は特に十六大菩薩生
を重要視したのです。
金剛界の十六大菩薩と胎蔵八大菩薩ですが金剛界の十六大菩薩は四仏・四如来にそれぞれ付
属する四親近菩薩、主尊にあたる各四仏の特性を更に細分化したもので、文献的根拠は、
「金剛頂一切如来眞實摂大乗現証大教王経」略称三巻本大教王経であり、また中期密教のも
う一方の大日経や大悲胎蔵曼荼羅や理趣経の中には従来の伝統的な菩薩が名前を変えて新し
い尊格として再登場しているものが多いということです。その属性をより強調する語を「金
剛」~の下に付加して新しい尊格を形成していつたと考えられます。これらは現図曼荼羅の
通例であり、別系統の八十一尊曼荼羅、五部心観、あるいは金剛頂系の梵本、チベツト訳な
どでは細部において異なります。
(金剛界の十六大菩薩生)
東方・阿閦如来~ 金剛薩埵・金剛王・金剛愛・金剛喜
南方・宝生如来~ 金剛宝・金剛光・金剛幢・金剛笑
西方・阿弥陀如来~ 金剛法・金剛利・金剛因・金剛語
北方・不空成就如来~金剛業・金剛護・金剛牙・金剛拳
(理趣経記述の八大菩薩)
東方・金剛手菩薩~金剛薩埵 西方・観自在菩薩~金剛法菩薩
南方・虚空蔵菩薩~金剛宝菩薩 北方・金剛拳菩薩~金剛拳菩薩
東南・文殊師利菩薩~金剛利菩薩 西南・纔発心転法輪菩薩~金剛因菩薩
北西・虚空庫菩薩~金剛業菩薩 北東・墔一切摩菩薩~金剛牙菩薩
要するに、理趣経記述の八大菩薩は金剛界の十六大菩薩として「金剛」~の下に付加され新
しい尊格として登場している訳です。依つて十六大菩薩生に八大菩薩が全て含まれていると
言うことになります。
大師が 震・兌・離・坎・巽・坤・乾・艮として方位を改めたことについてですが、初会の
金剛頂経降三世品には、五つの世界を支配するヒンドウーの諸神が五類諸天として密教に取
り込まれており、降三世教令輪と名ずけ、般若の教説の結論にもなつている。また大悲胎蔵
曼荼羅では、外金剛部に描かれています。
上界・東方~那羅延天・俱摩羅天・梵天・帝釈天
飛行・南方~日天・月天・彗星天・瑩惑天
地居・西方~羅殺天・風天・火天・多聞天
水居・北方~金剛面天・閻魔天・聖天・水天
虚空・四門~金剛墔天・金剛食天・金剛衣天・調伏天
これ等の二十天諸神も本質的に大日如来の徳を顕現する金剛部、宝部、法部、羯磨部の四部
の尊と異ならない。大悲胎蔵曼荼羅の外金剛部は八方天の曼荼羅であり、護世八方天と呼ば
れ起源的には四天王と須弥山説であり方位は起源的に四天王による曼荼羅構成が基になつて
おり、とりわけ方位は、重要で東方~持国天・西方~広目天・南方~増長天・北方~多聞天
と決まつており、これを基に各天部を追加していつた訳です。
須弥山の善見城内の善法堂は帝釈天が三十三天を集めて政治をおこなう所、その際四天王は
四方の門によつて住し眷属と共に世間の善悪を帝釈天、三十三天に奏聞する。
理趣広教では大自在天曼荼羅・八母天曼荼羅・三兄弟曼荼羅・四姉妹曼荼羅で示され、外金
剛部の教理が導入され外教の神々をもつてその特性を毘盧遮那の特性として生かそうとして
いる。空海は方位を、重要視し、八卦、陰陽五行思想、宿曜経の占星術、護国思想などを考
慮して入れ替えたと考えられます。本曼荼羅は、中尊、大楽金剛普賢延命金剛薩埵位、欲・
触・愛・慢、 意生・適悦・貧・金剛慢、 春・雲・秋・冬、 色・声・香・味の各金剛の
十七尊構成。
参考文献 ・理趣経の研究(その成立と展開) 福田亮成 博士
・曼荼羅の研究(研究篇) 石田尚豊 博士