性霊集第七に、大同2年2月11日、大師入唐帰朝して筑紫に在り末だ観世音寺留住の官符
を賜わらない前に田中氏の先妣(せんひ)の忌斎を設けた時に、千手千眼大悲菩薩并に四摂
菩薩、八供養魔訶薩の十三尊を図絵し并に妙法蓮華経一部八軸、般若心経二軸を写し奉つて
法要を修した事があつた。この時大師は帰朝後初めて儀軌に依つて正確なる此れ等諸尊の形
相と本証とを表現したのであつたろうと思われる。
現在この千手千眼観自在菩薩の所依経典が全て摂無礙経にあることが明らかとなり、また摂
無礙経自体が千手観音を中尊とする大規模な千手観音曼荼羅である。
阿弥陀力端印は恵果阿闍梨の現図曼荼羅を経て空海に依つて請来され、高雄曼荼羅をはじめ
日本の現図曼荼羅に引き継がれていつた。千手千眼観自在菩薩も極めて関係の深い不空訳の
摂無礙経に至つて阿弥陀の力端印と思われる入定印が現われ、敦煌に力端印の千手観音が頻
出し現図では阿弥陀同様力端印が出現した。
かくして胎蔵旧図像における阿弥陀力端印の出現は菩提流志の禅定印から不空の阿弥陀力端
印に至る激しい変革の上に理解されねばならない。
本曼荼羅は、中尊に大悲胎蔵曼荼羅の虚空蔵院の左側に大きく描かれている千手千眼観自在
菩薩で、内院四隅は内の四供養菩薩、外院四隅は外の供養菩薩、四摂菩薩の13尊形式の曼
荼羅である
千手千眼観自在菩薩は千の手、千の目をもつて衆生を救済する尊像で、慈悲の究極である大
悲の徳を表しています。黄金色で二十七面、千臂。(このうち四十二臂を強調する。)二十
七面は二十五有(地獄から無色界までの衆生輪廻の世界の二十五種)を済度する二十五面と
本面と、本地の阿弥陀仏(頂上の正面)である。両手の第二手と第三手は、合掌印と弥陀の
定印で、蓮華王ともいわれる。
虚空蔵院の右側は一百八臂金剛蔵王菩薩で中央が虚空蔵菩薩で左側の千手千眼観自在菩薩、
この3尊が虚空蔵院では、とりわけ大きく描かれる。虚空蔵院は大悲胎蔵曼荼羅全体をまと
め左に慈徳の完成を示す千手観音、右に智徳の完成を示す金剛蔵王、虚空蔵菩薩は宝珠の徳
を表に出す。この院は仏部・蓮華部・金剛部の三部の果徳をあらわしており、中台八葉院の
大日如来とこの三尊が一体となるように示されている。