狭義の愛染明王の美術的作例は日本にしか知られていません。と言うよりも卒直に言えば、
愛染明王の起源が十分に分かつていないと言うほうが適切です。愛染明王の原語として、ラ
ーガラージャ(Rāga-rāja),マハーラーガ(Mahā-ragā)などの語をあげています。
しかし両者の言葉と尊格名としては梵文資料の中に見出すことが出来ないのが実情です。
我々が直接に利用できる愛染明王の典拠は、金剛智訳の瑜祇経・「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇
経」だけです。空海の請來目録にはあげられているものの、中国の経録資料では言及されず
梵本はもちろん、チベツト訳も一切存在していません。瑜祇経には、愛染明王とは記されて
おらず、愛染金剛・金剛愛染王・愛染王・金剛王と様々な名号によつて呼ばれています。
そうしますと愛染明王の真言に注目する説があります。(吽・吒枳・吽・惹・吽)
「フーン。タキ。フーン。ジャハ。フーン。」この真言の 最初、中、末尾 に三度ある
「フーン。」と言う語は、相手を威嚇する一種の聖語として真言によく用いられる語
(阿吽)の吽にあたり、口を閉じたときの発音を表す。
「タキ」が特定の尊格を指すものと考えられる。 9世紀~12世紀の頃に印度で栄えた後
期密教では十種類の憤怒尊のグループを説きますがその中に「タキラージャ」・(カーマラ
ージャ)と言う尊格があげられています。通常は三面六臂の姿をとりますが、チベツトの図
像などを見る限り日本の愛染明王とは必ずしも同じ持ち物ではありませんが「タキ」と言う
言葉が愛染明王の真言に説かれていることは何らかの関係のあつたことを示唆しているとい
えます。
愛染明王の姿、かたちですが、最も一般的な姿は赤色の色身をして、一面六臂で蓮華上の上
に結跏趺坐しています。 立像の愛染明王はありません。 顔面には通常の二眼の他に額中
に縦方向に第三の眼があります。この眼は日本固有の発想ではなくヒンドゥー教,シヴア神
の持つ智慧の第三眼を踏襲したものと考えられる。 髪は上部に逆立つた怒髪(どはつ)と
なつてこの怒りの姿は赤い身体の色相と共に恩愛の激しさを示す。 怒髪の上には獅子冠、
その上に五鈷鉤があり、天帯が両耳を覆つている。
六臂の持ち物は第一、金剛杵を握り、第二、金剛鈴を執る。この姿は金剛薩埵を意識したも
ので瑜祇経が金剛薩埵を主要尊格とする一群の金剛頂経経典群に属する事からも明瞭です。
第三・第四は弓と矢を持ち、第五は蓮華を持つ。 第六の左手は通常金剛拳ですが、瑜祇経
が「次に下手、彼を持し」とのみ説いていて、具体的な内容をあげていません。別尊雑記や
白宝口鈔などは修法の目的によつて持ち物を変えると説いています。 福運を祈る時は宝珠
を息災を祈願するには日輪を持つなど一定しません。蓮華座の下に様々な宝物を吐き出す宝
瓶が置かれ,真紅の日輪と共に愛染明王の特色となつています。
宗叡請来の理趣経十八会曼荼羅十八幀に付加された四種の図像、五大虚空蔵曼荼羅・仏眼曼
荼羅・大仏頂曼荼羅・喜悦愛染明王の四種。 これら大仏頂以外はすべて「瑜祇経」の所説
に基ずいて制作されたもので 五大虚空蔵・仏眼は瑜祇経の 金剛吉祥大成就品、第九、
喜悦愛染は同経、 染愛王品第二 と 愛染王品第五 にその本説があります。大仏頂は
「大妙金剛経」に説く(摂一切仏頂)の曼荼羅で 摂一切仏頂 とは金輪仏頂の異称で「瑜
祇経」に説く仏眼尊と金輪仏頂とが一体不二の関係にあると考えられたからです。
宗叡請来の十八会曼荼羅は、初段の説会曼荼羅を別にすれば 金剛薩埵に始まり愛染明王に
帰結すると考えられます。 喜悦愛染の姿は金剛界五仏の第二、東方阿閦如来の四親近菩薩
の内、第一・第三の金剛薩埵、金剛愛菩薩の図像を念頭に置いて成立した。
愛染明王の獅子冠にある五鈷鉤は自在に鉤招して帰伏せしめる(金剛王)菩薩を表して、第
二手の左右の手に執る弓箭は一切衆生を愛念するが故にその悪心を射害する(金剛愛)菩薩
を表して、首(こうべ)を低れる、ことは(金剛喜)菩薩を表し、頭部を傾げることを言
う。「喜悦の標示」とされる。
第一の金剛薩埵は偉大なる悟りを願う心。
第二の金剛王菩薩は一切如来の有情を引き寄せることの象徴。
第三の金剛愛菩薩は一切如来の有情の心を染め上げる智慧。
第四の金剛喜菩薩は雄大な悦び。 以上一切如来の偉大なる悟りを象徴する方々である。
愛染明王と五秘密の関係は愛染明王の別名(金剛王)を基にして「金剛王菩薩秘密念誦儀
軌」をもまた、愛染明王の念誦儀軌であると定め、この儀軌に説かれる「十七尊曼荼羅」と
般若理趣経の注釈書である般若理趣釈で説く「十七清浄句」の曼荼羅は本質は同じと考えら
れる。
愛染明王と五秘密とを結びつける直接の根拠は曼荼羅である。
五秘密尊は、五秘密儀軌に依つて解釈すれば金剛界五部を有している。
金剛界の一切諸菩薩と同等なる事を表し、五秘密尊は常に衆生界に存在している「現在世」
の尊格である。 そしてこの文を般若理趣経においては「百字の偈」として説き理趣釈にお
いては五秘密尊の三摩地としてこの偈文を註釈している。
愛染明王の尊格については「瑜祇経」全体に通じる問題であるが愛染明王は「現在世」の尊
であり、この尊の真言よりすれば(染愛王と愛染明王)とは同尊異名の尊であるが染愛王は
愛染明王のとくに前身、愛染明王の「過去世」の尊格である。
瑜祇経序品における立場では 最初に金剛界遍照如来の大悲の実践が三世常恒に休みなく続
けられる見解を表し、後に一切如来大勝心瑜伽を持すれば、三十七尊自覚智を成就すると説
く。この(大勝金剛)とは、第七・八品に説かれる大勝金剛の三摩地であり愛染明王の「未
来世」の尊である。
教主である金剛界遍照如来は三世常恒に方便化地を実践する立場を表し、染愛王はそれをと
くに過去世の欲・触・愛・慢の四煩悩(方便)をもつて浄菩提心の徳の作用として示し、愛
染明王はそれを現世である衆生界でも実修する事を説き、さらに大勝金剛としてそれを未来
に実修すること説く。即ち愛染明王は、仏界の中において、過去・現在・未来そして常恒に
大悲を実修し常に煩悩を方便として衆生界を救おうとする尊である。
愛染明王と喜悦愛染明王/真言
愛染明王は煩悩即菩提、大愛欲即菩薩道と言う様に我々の日常に起こる煩悩をそのまま自性
本具の徳として、三昧の秘趣を説いたもの。その真言の中代表的なもの三種を挙げる。