仏画コラム
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7,覚鑁臨終御本尊・真言密教両部秘蔵曼荼羅

覚鑁臨終御本尊(双幅仕立)金剛界 1.5×3.6尺丈

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覚鑁臨終御本尊(双幅仕立)胎蔵 1.5×3.6尺丈

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覚鑁臨終本尊 P-47 1.8×3.5尺丈

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白描図(種字)

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昭和12年(1937)、金沢文庫にて発見された鎌倉末葉の古写本 白描図

本仏画の基になつた白描図像は昭和12年(1937)の秋、神奈川県の金沢文庫にて 櫛田良洪
博士(元大正大学学長)故人が32歳の時に発見された鎌倉末葉の古写本の白描図像を基に
して一部修正を加えて彩色を施し復元制作した仏画である。 81年ぶりに復元され、よみが
えつた伝承普及すべき仏画である。 本図像は櫛田良洪博士が昭和54年(1979)に出版
された「続真言密教成立過程の研究」本で 覚鑁の新資料、「覚鑁臨終御本尊」として詳し
く紹介されております。
(化題)五臓曼荼羅と月輪曼荼羅と名打つて説明されております。

此本尊者 覚鑁 上人為 臨終本尊 手自被 図絵 秘蔵本尊 伝又 以彼自筆正本 奉
図絵 也、   理性院 法院御房被 奉 供養 畢

と言う識語が曼荼羅の裏書に残されるので覚鑁臨終の秘蔵の御本尊であつた事が知れる。し
かもこの図は覚鑁自ら図絵されたるもので「古法印」がその正本をもつて影写したものから
更に伝写した事が裏書に明記されている。恐らく覚鑁の原本に接することは到底不可能と思
われる以上、此の金沢文庫本こそ最古のものとみてよいであろう。図面は直径1尺1寸5分
(35cm)で覚鑁御自筆の正本には麗しい彩色を施された跡を発見することが出来る。恐
らくこの曼荼羅は五臓曼荼羅とか五輪曼荼羅とか名付けられるべきものであつたろう。覚鑁
の著作たる「五輪九字明秘密釈」には大半五輪曼荼羅を詳述されている五大五輪自身成仏図
を示されて五輪曼荼羅の信証を説き徐蓋障三昧の信を得たりとし、まず五智五臓曼荼羅と
五字の功徳を強調されて、金剛界の五字五臓観を説かれるがまだ胎蔵界のそれと同様な均点
を明らかに保持せられていない様に考えられる。無論五輪曼荼羅思想は胎蔵為本であるから
金胎同格の理智不二の五輪曼荼羅思想に於いては少々不自然な観がある。したがつて「五輪
九字明秘密釈」の五輪曼荼羅が理智不二観に混然と透徹せざる嫌いがあつたのであろう。然
るにこの新出の臨終本尊の五臓曼荼羅はそれよりも一歩進めたものであると言えよう。即ち
この五臓曼荼羅は思想的にも晩年の「五輪九字明秘密釈」よりも更に遅れての御述作として
見るべきである。この点からもこの曼荼羅は御臨終の御本尊として覚鑁の円熟された境界に
達せられたものと推察することが出来よう。因みにこの臨終本尊を供養した僧は、理性院
法印御房であつたと言う。法印は理性院の 賢覚 のことで彼は覚鑁の師としてあまねく知
られた僧で賢覚は元保元年3月16日、77歳で覚鑁没後13年にして亡くなつている。覚
鑁御臨終の行儀に関し如何なる伝記が伝えられているのであろうか。霊瑞縁起によると康治
2年7月御風気にかかられ尊勝陀羅尼の誦呪を励み給い12月12日、端座して根来山円明
寺の西廊で御示寂になつた。その記事の中に、「臨終の行儀別にあり」と言う 覚満の記載
について従来全く注目されていない。櫛田良洪博士は、この点を指摘されている。信頼しえ
るもので、根来要書の文中に、本尊前端座遷化、本尊の御前で御遷化せられた事は認めて
良い、この本尊はこの臨終の御本尊ではなかつたかと思われる。覚満の頃にはこの臨終の行
儀が伝わつていたようである。密厳国土の中方に向かわれた以上東に胎蔵曼荼羅、西に金剛
界曼荼羅を掲げるのを如法としていたから私は五臓曼荼羅と次の鑁字曼荼羅とが臨終の本
尊としてご入滅されたものと考えたい。覚鑁は好んで月輪観に徹せられたと言われ、出凡の
正道入仏道の直道なりとして月輪観に因む幾多の労作を残された。心月輪秘釈によると鑁字
は金剛界を為本としたもので、色心の諸法は悉くこの門に摂し阿字は本有の現体となるもの
であると言う。五輪曼荼羅をもつて胎蔵為本とするのに、この鑁字・月輪曼荼羅をもつて金
剛界為本とするものであつて相合して初めて両部理智不二の五輪曼荼羅が成立した事にな
る。是等の思想的発達から考えてもこの曼荼羅は「五輪九字明秘密釈」、心月輪秘密釈の思
想よりも遥かに円熟した体系であることが察せられるもので前者と共に覚鑁臨終の御本尊と
して実にふさわしい。本図像は、本来、金胎双幅であつたものを、一幅にまとめたものであ
る。ご希望に依り双幅仕立も可能です。   
                            
論文参考 文学博士 櫛田良洪「続真言密教成立過程の研究」・昭和54年(1979)出版

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(上図像)櫛田良洪博士32歳の時、昭和12年(1937)金沢文庫にて発見された
 鎌倉末葉の古写本白描図像(金・胎)・・・覚鑁臨終御本尊也。
(下図像)自身成仏図五輪図・・・興教大師 覚鑁